頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

わかった。わかったよ認めるよ。僕は人間の持つ欲望を嫌ってる。それが怖くて遠ざかろうとしてる。なぜ嫌いか。どう反応すればいいかわからないから。正解を求めてる。なにか正解の反応があると思い込んでる。自分自身の感覚、自分の中の基準、好き嫌いをジャッジされるのが嫌だ。自分の感覚を正誤で測られるのが怖い。正しくないと裁かれるのが怖い。嫌だ。あなたは間違ってる、あなたは誰かを傷つけたと責められるのが嫌だ。怖い。怒られたくない。なんで怒られたくないんだろう。認めるしかない。だってそれは確かなことだ。確かにそうなんだ。僕は誰かを傷つける。傷つけたし、これからも傷つける。避けようがない。100%避けるのは無理だ。どうしようもない。生きている以上は。生きることは傷つけることなんだよ。傷つけることは怒られることだ。悲しませることだ。誰も怒らせたくない。誰も悲しませたくない。でもそれは無理なんだ。怒られると悲しくなる。悲しませると悲しくなる。僕はただ自分が悲しくなりたくなくてそれを避けようと期待する。自分本位で利己主義な動機、利己主義な欲望にもとづいて動く人間でしかない。そこに他者への関心はない。ただ自分が傷つきたくないだけだ。それだけだ。そのことにまた腹を立てる。他者に対する自分の態度はいびつだと言って。

云々。

あーまだ言ってるよ。まだ捨てられないんだ。いつまで続くんだ。自分が傷つかないために誰も傷つけたくない、その望み、その期待。いつまで持ってるつもりなんだ。傷つかないのは無理だよ。傷つけないのも無理。傷つくし傷つけるよ。それを受け入れるしかない。

そうだ。受け入れるしかない。問題はその先にある。違うか?必要なのは"傷"への対象方法を身につけることなんだ。それは思想だ。それは一つの物の考え方、一つの思考回路、一つのコミュニケーション作法、一つの新しいやり方だ。これまでと、今まで使っていたのとは別の道具をさっさと入手することなんだ。それがどんな形のどういう機能を持ったどういう使い方の道具なのかを模索してる。

僕は言いたい。「僕は嫌だ、僕はそれが嫌いだ」と。または「これが好きだ」と。それは欲望だ。今、僕は欲望を嫌う。そして、"欲望を嫌う自分"を嫌う自分がいる。"欲望を嫌う自分"を嫌う自分を嫌う。「欲望が嫌いだ」という自分を素直に認めたいんだよ。認めろよ。認めればいいんだ!

自分の感覚を否定する。自分の感覚を認めないのは苦しい。自分の感覚を認めたい。それが、欲望が"ただ在る"ことを許せない自分が、"ただ在る"自分を苦しませる。

欲望は、期待は、ただ在るだけだ。

それ以上でもそれ以下でもない。

欲望を否定したいという思いもまた欲望だ。だから苦しいんだ。

それがわかる。

もういいだろ。もう十分だろう。

だめなんだ、なにひとつ具体的に書けない。すべてが抽象的だ。

なにかひとつ例を上げてこの感覚を説明するべきなんだろう。

だめとかべきとかも使いたくなかった。

これはだめ、こうであるべき、それは鎖だ。自分の中に掟を作ることだ。掟は嫌いだ。100%そうでなければならないと自分を信じ込ませるから。僕は信じ込みやすい。思い込みが、白黒思考が激しいんだ。それを知っているから。でもそれが掟になってしまった。掟を作りたくないという掟を作ってしまった。結局この鎖から逃れることはできなかった。

なにを気に病んでいるの。また掟とか鎖とか言ってつまらないことにこだわってる。べきとか使っていいじゃん。具体的に書けなくていいじゃん。確かに内容が抽象的すぎる。こうあるべきってのはひどく乱暴で強い言葉だ。それはそうだよ。でも、だからなんなの。

タブーが一つ増えた。なにかを守るためのタブーだ。

タブーを増やすごとに不自由が増える。不自由のぶんだけ得ているなにかがある。不自由の対価を払って得ているものが。それはなにかを守っているという感覚なのか。傷つけずにいられるという"正解"のように感じる感覚。それは嘘だね。傷つけずにいられることなんてないんだから……。表面的な表現で誤魔化しても根底にある思想が変わるわけじゃない。表面的な表現の規制という対価、タブーという対価を払って、不自由、"誰も傷つけずにいられるという正解のように感じる感覚"を買ったんだ。不自由だけじゃない。逆もそうだ。自由だって自由のためのなにかを払ってはじめて得られる対価だ。表現に気を配らないでいる乱雑な無配慮さという対価を払って、頭の中身を規制なくのぞきこむという自由を買った。タブーに従うとき僕はタブーに従うという対価を払ってある結果を買ってるんだ。その結果が得ようと思ったものなんだったら望みは叶ってるじゃないか。自分にとっての不自由を買いたくないんだって言うなら、買わなきゃいい、支払うのをやめればいいんだ、やめないってことは納得してるってことじゃないのか、え?……自由を買いたいが対価は払えない?対価を払わず自由が欲しい?そりゃ無理だ……少なくともその方法を僕は知らない。あるなら知りたい、教えてほしいくらいだ。

もうめちゃくちゃだ。話の前後がない。

うう。

いいんだ、とにかく、そう。僕は自分の欲望を、ひいては他者の欲望を嫌う。そのためにすべてに嫌気が差し、そのためになにもかもを放り出したくなる。それがわかってる。ちっとも整理されてない。でもそれで十分だ。

僕は欲望を嫌っている一方、嫌っていたくなんかはない。すべてに嫌気が差している状態でいたくなんかない…。でももう一方の自分はそうは思わない。それで葛藤が。対立が衝突が起きて…苦しい。でも楽しいよ。あはは。最高に自己陶酔してる。バカバカしすぎて笑える。なんだこれ。本当にしょうもない。こんなしょうもないことで苦しめるんだなと思うと、笑うしかない。ほんとにバカだ。アホすぎる。そしてこういうバカげた自分に愛着を持ってる。あはは。