頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

酔生夢死

f:id:nohere:20190915195943j:plain

 

日差しがまだ夏の気配を残してるけど空気がずっと涼しくなった

乾いていて澄んでる

秋の匂いがする

季節が変わる瞬間を取り込むと全霊がそれを吸って膨らみ、叫んだり踊りだしたりしたくなる

これでもう十分報われた、と思う

その瞬間が全部で、あとはみんな夢なんじゃないか

昨日まで死ぬほど絶望的で追い詰められて涙と悲観と虚脱が一日とめどなく続いていたのに、今朝はもう嘘のようにその波が引いた。

天気と同期してるみたいだなと思った。

昨日台風が来て、通り過ぎていった。

一日経って、今日は日中灼熱が地表をおおって、夜になって今は、ひりつくような雷。と土砂降りの雨。

二転三転する。

雷すげえ。睡眠導入用アプリとかでしか聞かないような激しいアンビエントサウンドに包まれている。

リラックスできる音リストの中に雷の音入ってるのハードコアなんだが。

 

悲しいのは二、三日続いた。

AメロBメロときて昨日がサビだった。

Cメロないパターンのやつだったし一番で終わった。

今がCメロでまたこれからサビが来るのかもしれないが。

むちゃくちゃ間奏長くなっていつかメロディが聞こえなくなるのが理想くらいに前は思ってたけど。今はもういい。鳴ってるなら鳴ってるに任せるし、鳴ってる間はその曲を聞くだけ。

 

曲が鳴ってる間、病気になってから怒りをコントロールするのが難しくなった、という人の匿名ダイアリーのエントリを読んで、自分の状態を連想した。

悲しみをコントロールできない。

でも、その人と違って僕は、コントロールするのにも抵抗がある。

脳とか神経とか…結局肉体の物質的な部分の影として精神はあるんだから、じゃあ物質的な部分をいじって精神もいじれるならそれで問題解決じゃんっていう発想はなんか恐い。

だからまだ精神科における薬物療法を一度も受けたことない。

一度試してみたらこの考えも変わるんだろうか。

人格矯正、とかいって怯えてるけど矯正前の感覚が消え去って今後も怯えることがなくなるなら最初から前の人格なんてなかったレベルにまでどうでもよくなるかもしれないじゃん。ははは。

つーかその人格を維持するのに生涯莫大な金がかかり続けるっていうのがもう。クスリがなくなったらジブンじゃなくなる、ヒトじゃなくなる、とか思いたくないよ。

都合よく動くよう調合した化学反応の総体としての人格。

こうあるのが望ましいと規格化された状態を前提にした人格。

だいたいから都合のよさ最優先なのが違和感あるんだよ。都合のために切り落とされていくものについて考えて嫌になる。

でもそういうのの連続なんじゃん、生きるのは。一方を選んだら片一方は選べない。なにかといえばどちらかを選ぶ必要に駆られまくる。天秤の上に石をおいたらどちらかは傾かざるを得ない。それはもうことわりという他ない。

ところで逆はどうなの、と思う。精神が物質に影響を与えてる可能性。

物の考え方、認知、自我やなんかが先にあって、それが脳とか神経とかに変化を与えてる場合は。

精神が変質をきたすのが先で、その結果として物質的な部分が書き換わっていってる。どう?

そしたら今度は肉体の変質を促すために精神改造を、みたいな話になってきてなんか、そっちはそっちで食傷気味だし。

物質が先にあるのか精神が先にあるのか。

もう先とかないんじゃね。コインの裏表だよ。裏と表どっちが先に存在するとか考えないじゃん。そういうことなんじゃないの。しらんけど。

 

こうあるのが望ましいとする状態か。

そうだな、僕が都合よく自分の性質をいじくれるなら……人の怒声に極度に怯えてどうしようもなくなるやつを治して、人が怒鳴ってくるんじゃないかという想像に駆られて身動きが取れなくなるのを治して、人から怒りの感情を向けられるたび発作起こすのも治して、人から怒りの感情を向けられるんじゃないかという不安で身動きが取れなくなって自己開示を過剰に抑制するのを治して……

とか思ったけど、でも、この恐れ、本来必要があるから備わってるものなわけだし。

恐れを失えばきっと僕は今以上に尊大になって人の都合を顧みなくなるに違いない!

そうありたくなくて、だから恐れを備えてるんだろう。

0か1かって話じゃなくて…小数点の間の話してるんだけどな。完全に無なのを望んでるんじゃなくて、多寡の問題で…。

だいたいなんで人が怒るかって、怒るだけの理由があるからなんだし。それを恐れるっていうのがよくわかんないよ。

怒るだけの理由。

相手にとって、自分は正しくないから。自分は間違ったことをしているから。

自分は間違ったことなどしていないと思い込めば恐れは消えるだろう。

自分だけがいつでも絶対に正しいと思っていれば、誰がなにを言ってこようが恐れも怯えもない。だって絶対に自分が正しいなら、正しくないと人から言われたところでその正しさも確信も揺らがないから。

考えすぎてわけわかんなくなってきた。

怒り、恐れ、正しさ?

わかんないわかんない…。

とにかくはっきりしてるのは、どんな種類であれ強い感情が自分に向けられるような状況を異常に過剰に避けるのは、もうすごい精神的自殺行為だからっていう…気持ちがあって…これ以上精神を殺すなよ自分で自分を追い詰めるのやめようよっていう。

 

ヒューマンイズエラー

f:id:nohere:20190908015529j:plain

 

いくらでも複製したり加工したりできる一瞬

人工的で作為的な一瞬

人間が認知するものは全部人間を通して認知したものになってしまうから、これは人工的じゃないなんてなにに対しても言えない

人工的視点、人工的視野

 

f:id:nohere:20190908015531j:plain

 

携帯のカメラのピント、年々合いづらくなってきてる

焦点を合わせようと、ぼやかして、絞っての運動を繰り返す様が、視力の落ちた人間じみている

ヘブンリーヘル

f:id:nohere:20190907034639j:plain


「そういうものだから」

魔法の言葉。

大抵のことはなんでも「それはそういうものだから」で締められるわけです。

そうなってるんだから。

それ以上疑問持たずに受け入れるのって賢い。

なんで僕はそうしないんだ。

いやいや、そうしてるよ。そうしてる部分があるから生きられてる。生きてること全部に疑問持ってなんもかも拒絶してたら生きられない。なんで拒絶する必要があるのか。なんで受け入れる必要があるのか。拒絶するかどうか受け入れるかどうかはどうやって判断してるのか。どうやってそう判断する基準が設計されていくのか。

 

よく赤ん坊について考える。まっさらのタブララサ。

本当にまっさらなら恐れも怯えもない。なにもないから。

でも赤ん坊は泣くし怯える。

赤ん坊は影を恐れる。それでも、影がきちんと常に足から生えてくっついているかどうかを確かめて神経質になったりしない。

暗がりに怯えはしても、闇の中に幽霊のイメージを凝らして見たりしない。

人の顔を識別しても、その形が美しいかどうかなんて考えない。

 

人っていつどのタイミングで、なにかを美しいとか醜いとか感じはじめるんだろう。

美醜の感覚ってどうやって育つのかな。生存戦略、文化、流行?

なにが美と醜を分けてるの?

なぜ今美と感じられるものは醜ではなかったの?

どうして美は美で醜は醜と感じるの?

なぜその逆じゃないの?

逆ではいけなかった理由は?

自我が芽生えて、鏡で見る自分の姿を自分の姿だと認識して、目や歯や鼻をじっと観察し、それまで見てきた他者の目や歯や鼻の形と比較して、優劣をつける。

どうして比較して優劣をつけるんだろう。

そういうものだから?

 

今「そういうもの」と呼ばれてる状態ってどうやって今の形になっていったの?

なんで「そういうもの」は「そういうもの」以外ではありえなかったの?

必然性があって今の形に収まってる。

どんなに醜悪な必然性でも理由がある。

その理由ってなに?

なんでその理由は「その理由」じゃなければならなかったんだろう?

僕何言ってんの?

 

理路整然と現実ってゲームに挑んで、クエストクリアに必要な知識も豊富で、実績解除もいっぱい。

どんなに立派さを堅牢に積み立てあげた人間でも、赤ん坊からスタートなのは同じで

その堅牢さは全部無防備な赤ん坊の上に積み上がってる。

この世は赤ん坊天国で、赤ん坊が遊び回ってる。

めちゃくちゃたくさんの赤ん坊がうじゃうじゃ遊び回ってる。

それだけ。