頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

延々、自分の中の欲求や欲望について考えている。

期待。

期待からくる不安、恐れ。

または歓び。

 

~したくないという欲求は、~したいと言い換え可能だ。

~したいという欲求は、~したくないと言い換え可能。

 

苦しみたくない。安らぎたい。

傷つきたくない。痛みを感じなくなりたい。

傷つけたくない。痛みを与えない存在でありたい。

 

ところが無理なんだ。

その欲求は達成不可能だ。

少なくとも100%、10割、全体のすべてがそれで統一されているという形では。

そのことを噛んで含んで自分に言い聞かせる。

だがなかなか飲み込まない。

そうだな、苦虫は飲み込みたくないものだ。

じゃあ吐き出すか。

それがいい。

そもそもそんな期待を、虫を、口に入れなければ飲み込む必要もない。

苦しみや安らぎ、痛みや傷という概念を捨てれば解決する。

それは想像、付与されたイメージ、思考のための道具。言葉。名前。

言葉を捨てられるのか?

どうすれば言葉を捨てられるのか言葉で考えている。

でも、もう在るんだよ。それはそこに在る。在ることは否認できない。在るものは消せない。せいぜい形が変わって別物になっていくことでしか。上書きでしか形が変わらない。上書き。外部刺激による緩慢な変質。

僕はもうなにも考えたくすらない。でもそれは達されない。だって在るから。変わるのを待っている。考えなくて済むようになるという期待が達されることを考えることによって達そうとしている。

バカバカしい。

こんなことばかり考える。

自分の欲望、それがもたらす感覚にばかり意識が向く。

毎秒、欲望を捨てたがっている。

でも、欲望によって生活を、生命を維持している。

生命を維持しているから…今がある。

生命を維持するために欲望はあり、欲望が在るから苦楽があり、苦楽があるから、欲望が在るから、欲望から開放されたくなる、という欲求を持つようになる。

うんざりだな………