頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

今日はハロワに行ってきたんですけども。キャリアカウンセリングで。キャリアのっていうか人生相談みたいになっとるがな。初回に相談予約入れたときは適職診断の結果をもとに方針決めるっていう名目だったんだけど、そのときもやっぱものの考え方の根本がヤバいよってんで、メンタルカウンセリングじみてたし。

担当職員の人は初回と同じ人で。説教臭いのはまあしゃあないけど、ちゃんとこっちの話を聞いてはくれて、なんなら共感も挟んでくれて、あからさまにこっちの考えを否定したり罪悪感煽ったりとかもなかったんで、話しやすかった。っていうのもあってありがたく2回目も利用さしてもらいました。タダやし。

いや。否定や罪悪感を煽るってのはあったわ。誘導尋問的に。

「迷惑をかけているとか思ったりもするんでしょ?(罪悪感を煽る)」

「(肯定する)」

「じゃあそう考えなくてすむほうがいいよね?(否定) そのためにどうしたらいいと思う?」

「(考えたり、考えたことを言葉にしてみる)」

「○○って考えるほうがいいじゃない?(自説への誘導)」

云々。あの手この手で自分のフィールドに持っていくのがうめえの。罪悪感を煽るというより、僕の中にある罪悪感を察知していてそれを引き出し、罪悪感を感じる思考の構造自体を解体しようとしているんだよ、楽観的な思考の癖をつけるっていう上書きの手法で。けどそれ、変わんねえよ。まあ今が10:0で悲観的ってわけじゃないけど、現状の精神状態だったらよくて5:5だよ。0:10で楽観的にはなれないよ。9:1くらいの比率をいきなりひっくり返そうぜっていう展望を見せられても、現実味がなくて、冷める。っていうのは言葉にして表現はしなかったけど。うーんむずかしいっすね、でもそうなれたらラクですよねーみたいな感じで濁し続けてた。

えっと。なに話したんだっけ。あそうだ、なんか用紙に「自分の癖で、変えていったほうがラクになりそうなもの」と「どう変えていけばラクになりそうか」というのを書き込むやつをやって、それを提示した。すごい抽象的な内容になってしまい、コメントに困らせてしまうかなと心配してたけど、心配なかった。ざっくりとした概要だけ掴んで、担当の人自身の考えというか、話したい伝えたいと思ってる情報と結びつけてこじつけて、あとはマシンガンだったんで。なにを伝えてくれたんだっけ?忘れたな。なんか正論だよ、まあそうできたらいいよねっていう話。でも自分はそうできないし、そもそもしたくないしなっていう気分で聞いてた。

若者就職支援のカウンセリングでもそうだったし、K氏の紹介で訪ねた予備校でもそうだったけど、どうも僕はそこで会話につまずくらしい。彼らの提案する将来に向けての堅実な努力の方法と、安定した経済環境へ自分を導くための最適な選択肢。わかってる、それをやれば今よりラクに、マシになるだろうということは。でも、僕はそれをしたくないし、できない。なぜなら、そうだから。それは感覚的なもので、変えようがないから。少なくとも、今の時点では。もしそれができるようになるとしたらそれは、感覚的な部分が変化したときで。今の時点でじゃない。でも……でも、それ以外の、自分をラクに、マシにさせてやる選択肢を僕は持っていないし、考えもついていない、なんも見えてはいない。だから反論もできないし、自分がただ駄々をこねているだけだということも自覚している。

そして、もう駄々をこねているだけなのは十分なんだよ。駄々をこねる以外にももっと、他にできることがある。それが例えば、自分自身の性質を把握すること。そのために、自分以外の人間について知ること。なぜならそうすることで、自分の考え方が消去法的に浮き彫りになっていくから。僕には一本芯の通った絶対コレという支柱があるわけじゃない。でも、なにかその手触りのようなものを感じはする。それで、物事に触れ、知るというのは、その支柱の輪郭を鮮明にするための手続きなんだと思う。自分の性質を把握できれば説明ができるようになるし、説明ができればそれを駄々ではなく、交渉や戦略の材料につなげることができるんじゃないか。僕は説明が下手なんだ。説明がうまくなりたい。