頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

最近ずっとぼくりりの没落聴いてるんですけど。今のタイミング、この時代のこのタイミングの日本社会の中で破壊衝動剥き出したり、社会通念に中指立ててるのいいなぁと思って。それをすることに臆病になって縮こまるか、迎合するか、諦めて我慢する人ばかりを見てきたから、見て聴いててアンチ圧力への反撃のカタルシスがすげーの。アンチ圧力、個人単位でやってる人をネット上では見かけはするけど個人単位だから憂さ晴らしで終わっちゃって自己完結的で、誰かに与えられるダメージも微々たるもんだし、アーティストって立場使ってうるせーしらねーするのは超楽しそうと思った。社会に対する鬱憤や不満を音楽で表現するっていうのは数多のミュージシャン、いや表現者全般がやってきたことで、そこに新規性があるわけじゃないんだけど、アーティストとしての人格の幕の綴じ方を表現の一部に含んで作為的に作品に仕上げるっていうのが新鮮で。おもしれーことやってる!と思った。いや僕は全然、今までも今でも音楽を音楽としてしか聴いてこなかったから、音楽の後ろ側にいる人間や人間性に対して興味が薄くて、すでにやってる人ももしかいるのかもしれんけど、とにかく自分が生きてるこの同時代のうちにこういうパフォーマンスぶっかましてるのを見て知れたのは初めてだったんで。衝撃がでかかった。でもぼくりりはぼくりりとしてこいつをかましたわけだから、仮に似たようなことやってる人がいたとしてもそれは類似してるってだけで同一のものじゃないとは思うけど。

ぼくりりと親しいSKY-HIってラッパーがいて、この二人の親交もアツいんす。僕は対等に口喧嘩できる友人関係っていうのにひどい羨望の念を持ってるんですけど、この人達はそれができる関係なんですよ。で口論の結果、より精神に肉薄した詞が生まれて曲になったり。その詞がまた自分の弱さ、愚かさ、みじめさとか、そういう部分と向き合って見つめ合っていて、自己分析的で受容的で、ぐっとくるんだ。そんでその口論っていうのが、「感情をあらわにする作業サボってるでしょ、それが曲に出てるのがわかるよ」みたいなぼくりりの指摘からはじまってるっていうのが。そんなこと言ったり言われたりできる、そんでその言葉を受け止めて真剣にやり取りできる関係ってなんだよ、フィクションの中以外にもあるんかって感じ。っていうのは自分がそういうのを避けてきた人間だからこそ感じるんだろうけど。本当はそういう口論の種になりそうな話をいっぱいしたいっていう欲求を持ってるんだけど、それはうざがられることじゃないですか。特に特別親密でもない相手とかだったら。だし、口論をやり取りできるだけの体力とか、一緒に口論をやっていくぞという相互の了解がないと成り立たないし。あと僕普通にクソビビりだし頭の回転も遅いから、っていうのを理由に避けてきたのもあるし。なんか勝手に相手の顔色伺って、この人はそういうことを面倒くさがりそうな人だなとか、この人は自分の考えだけを正しいと思っていて僕の話は聞く耳も持たないだろうなとかを一方的に想像して一方的に心を閉ざすっていうのをやり続けてきたし。でもって自分自身も口論なんか嫌だよ!めんどいよ!と思ってる部分もあり。っていうのは考えのすり合わせを目的としてない口撃って人格否定と紙一重だから。それを避けたいって気持ちもあって……でもそんな痛みなんか構わないで喋ったり会話したりするほうが絶対楽しいっていうのはわかってるのに。

えーと、だからまあなんか、羨ましいなぁっていうのをすごい感じた。