頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

ふと目に入ってきた2019年1月30日という文字の並びに、一瞬ぎょっとする。2019年?わお……。

さて、明日からバイト初日だ。

マジで労働経験ゼロなんで不安しかないが、とにかくやれるだけはやってみる。自分にできることをやり続けるだけだ。

あれができない、これがわからない、自分にはそれが足りない欠けている、云々、そういうのはもういいんだ。もう手放した。もういらないよ。もう十分なんだ。

ただ今そこにいる自分を透徹に見つめ受け入れる、それだけが僕に必要なことだ。自分自身を裁いたり、善悪に分割して矯正しようとしたり、苦しみや悲しみから逃れようと必死に目をそらすのはもうしなくていい。それはしたくないことだから。

僕は人が怖い。

それは人から自分をジャッジされたり善悪で裁かれたり苦しみの無限回廊にいる自分を責められたり指図されたりバカにされるのが嫌だったから。

でも、もういい。そのことがわかったからもういい。

きっとそれは変わらないし変えられない性質なんだとわかった。

だったらそれを受け入れるしかない。

その上でそうされても受け入れるしかやっていく方法がないんだったら慣れていくしかない。慣れるためには経験を積み場数を増やすしかない。

人は人のことに興味がないという言葉の意味がようやく、自分の中で理解を経て浸透してきたんじゃないだろうか。それは過干渉と逆の概念。興味がないというのは悲観的で他責的な意味じゃない。誰がどうであっても別に構わないという楽観的なものの見方のことだ。善悪で裁くこととは逆の概念なんだ。だったらそれはなんて気分のいい関係なんだろう?

 

今日は夕方から喫茶店に出かけていって、人と話した。

狭い店内は人でいっぱいで賑わっていた。

この日は店内に占い師の人が来ていて、占いのサービスをやってもらえるらしかった。お願いすると、人生全体についてと仕事についての運勢をタロットで占ってもらえた。結果はこんな具合。あなたの中には自由の軸が一本ある。あなたは周囲の人々の感情や考えていることに感情移入しやすく、感化されやすい。でもそれは心の底から自分が変わっていくような影響の受けかたとは違って、同調して自分の中の軸を見失いがちという意味。ここ一年くらいの間で、周りに合わせようと焦っていたがそれはうまくいかなかった。でも、あなたの中の軸はその混乱のさなかでもなくなることはないし、あなたは最適なスピードとペースで着実にあなたの中で積み重ねてきているものがある、だからうまくいく。とざっくりこういうようなことを言われて、おもしろーいとなった。どういう原理かわかんないけど、なんとなく予言めいたことや漠然と抽象的な概念で自分のことを語られる体験っていうのは、くすぐったく楽しい。それがとんちんかんで見当外れな内容だったらなんのこっちゃとなるけど、そうじゃなかったから特に。人生の方針が漠然としていて定まっていないことが不安、みたいなことを言ったんだけど、でも実際は軸があって本当にやりたいと思ってることは変わってないんじゃない?と言われ。その通りですね。嫌な目に合い続けていたくない、しんどいのが嫌、それがすべてって感じがする。今までは、というか今もか、その「嫌な目」と「しんどい」の定義がめちゃくちゃでかいくくりになってて、そのことで自分を苦しめてるようにも思った。あと、人生全体に大きな起伏のようなものはなく、全体として刺激はないが平和な様子らしい。まあほとんど引きこもってる人生だし当たってるかも。ていうか引きこもってられるなら一生引きこもっていたいから、起伏が多いのは困る。外から見るとなんの起伏もないけど、精神的には常にジェットコースターのアップダウンを繰り返してる気分だよ、おおいに躁鬱の気があるし。

仕事についての占い結果。今やっていること、やろうとしていることはあまりうまくいかないかもしれない。でも今年の夏ごろに、探すか見つかるかして出会う仕事は、今後一生ものになっていく職種になるだろう、だからもしチャンスが巡ってきたら飛び込んでみていいと思う。またあなたは仕事において、前述の人の感情を理解する能力があるので、例えば部下との円滑な意思疎通をはかることでそれを活かせたりするだろう。ただ、リーダーシップを取って動くタイプでもないので、サブリーダー的なポジションがもっとも力を発揮できるのではないか。とかなんかそういう内容だった。

その占い師の配偶者だという人とも話した。眼鏡屋で働いていて、でも音楽活動をやる時間を増やしたいので、転職を考えているという。確かに自分のやりたい方針と労働条件のすり合わせって難しいすよねと話を振ったら、とはいえ自分の方針をまず打ち出していかないと要求も通らないからねと言われて、そうだなあと思った。ITとかスキルがモノを言う職種では技能があること等必要条件は厳しいけど、物販業界は案外熱意だけで採用まではなんとかなる、みたいな話も。ほえーって感じ。就活とか接客業とか絶対むりやと思ってノータッチだった人生だから完全に未知の世界っす。まして趣味とのダブルワークとか体力がすげえよ。すごいなあ。

その日喫茶店は僕の好きなアーティスト…?詩人?表現者?の人がバイトで店員を担当している日で。その人とも少し話した。その人のことは、その人のライブパフォーマンスを見て興味を持って、その人が書いている文章を読んでぐっと来て、それで今日ここに来る動機にもなってた。なんかその人が、人に手を差し伸べようとする様を見るとアホみたいに泣けて。手を差し伸べられてえ~ってなって寄っていった。あまりにも下心剥き出し。

助かりたいんです。救われたい。楽になりたい。悲しいんです。つらい。それを受け入れて、いや受け入れなくていいただ聞いてくれるだけで、裁かず縛らずただ状態を理解されるだけでどれだけ気持ちが安らぐことか。

だが、寄りかかりたい、それは不純な動機だ、と感じる。寄りかかるためじゃなく、一対一の対等な個人として関わることが誠意だと思う。そして、そうしたかった。そうできたかはわからない。