頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

より実際的に物事を考えるにはどうすればいいんだろう?

感情。不安。恐れ。それで頭が一杯になり、萎縮し、飲み込まれずにいるためにはどうすればいい?

列挙だ。考えている中身をぶちまけて精査するんだ。

怖いです。

恐ろしい。

怯えています。

想像をする。

僕は自分がされたくないことをされたときに、「やめてくれ」と声を上げ抵抗することが苦手だ。苦手というか、体がそれをできないようになっている、しないように覚え込んでいる。

抗議や反抗。

それができないことへの恐怖。

されるがままになることへの恐怖。

「従わないなら居場所はないし、君に用はない」と切り捨てられる恐怖。

居場所がほしいのか?

違う。居場所がないと生きてはいけないという感覚がある。金を得る。金を得るために信用を得る。信用を失うことは金を失うことだ。信用を得られなければ金は得られない。金がなければ生きてはいけない。

本当に?

信用を得なくても金は得られるし、金がなくても生きることは可能、泥水をすすってでも。それは怯え、縮こまり、助けを求めながら助けを乞えない精神の牢獄の中で命を拘束し続けるよりマシなことなのかもしれない。

僕は抵抗をしよう。反抗を。

そんなことできるの?

僕は自分の考えを述べよう。衆目にさらして、批判の俎上に載せよう。

批判を恐れる。

考えや、感性や、今まさに感じていることを封殺され、否定され、そんなことはできない、捨てるべき考えだと、一蹴されることを恐れる。

でも、それは起きることなんだ。起きていることだし。

それとどう向き合う?

どう付き合えばいい?

僕の感性が否定されるとき、僕はそいつの否定を受け入れよう。

そいつは僕を殺そうとする、僕は殺されることを受け入れる。

何度でも死んだらいい。

どうせ死にたいんだ。

僕は死のう。

でも死なないだろう。

なにかが生き残る。

その生き残りで今まで生き延びた。

悲しい。

僕は殺されたくない。

どうしたらいい?

殺されよう。

殺されに行くんだ。

他にどうしたらいい?

そいつが僕を取り合わないのと同様に、僕もそいつを取り合わなければいいだろう。

無視をしろ。感性に忠実になれ。

そして決定する。選ぶ。

自分の感性を優先することを自分の意志で決めるんだ。

そいつと向き合うのはそれからだろう。

なにを優先するのかだ。

感性を殺すものを優先したいのか?

大丈夫だ。

感性だけは殺せない。

死なないことがわかっているなら恐れる必要もない。

それは命が続く限りそこにあって消えないことを僕は知っている。

それで十分だ。