頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

僕は喋りたいと思って喋るが、話を聞いてもらえることがないと察すると瞬間的に幻滅に変わりもう心は開かない。聞いてもらえないなら喋る意味ないと思う。
なんておめでたいんだ!
話を聞いてもらえるって前提がおかしいよ。
話なんか聞いてもらえなくて当たり前なのに。
僕は自分の喋りたいことがあったらそれを勝手に喋ればいいだけだし、誰かが僕になにか話したいと言うならそうするのと同じで。それを僕が聞くか聞かないかは僕の勝手だし、誰かが喋るか喋らないかも誰かの勝手なわけ。
母は僕のことに興味がないんだろうなと思った。
僕が自分の話を始めると、話をそらす。僕は話を続けたいが、聞く気がないのだというジェスチャーにがっかりして、話すのをやめる。
母が興味があるのは今僕がどうなのかじゃなくて、今後僕がどうなるかなんじゃないかと思う。
今は「ダメ」で「正す余地のある」状態だから、そこからいかに回復していくか。ダメな僕が「ダメじゃない」状態でいるのに居たたまれなさを感じるんじゃないのかと思う。もっと悪びれろ、もっと真剣に人生設計に取り組め。こうあるべきという像があり、そこから僕がはずれているのが嫌。そう思ってるんじゃないか。
そう邪推する。被害妄想的になる。
やっぱり嫌われてるんだ、と思い込みたいわけ。なんで嫌われてると思いこみたがるのかわからんが。嫌われてたらなんなの? 嫌って当たり前なんだから期待をするな。なんで好かれないといけない? 好きにさせろ。僕のコントロールの及ぶ範囲じゃない。
悲しい。
違う違う。こんなこと書きたかったんじゃない。
僕は僕の好きに話をしたい。
話を聞いてもらいたかった。
共感しろとか賛同や同意をしろって言うんじゃない、全然違う。
ただ話を聞いてもらいたかったそれだけ。
でも聞きたくないと言われるなら無理に聞かせたいわけじゃないんだから構わないんだ。
僕にはちゃんと話し相手がいる。自分がいる。自分がいれば十分。なのに誰か相手を求めようとする!勝手に期待をかけて勝手に幻滅する!僕には僕がいるのに。だから自己嫌悪してたんだ。
人に期待をかけるなよ。
話したかったら話して、聞きたくないし興味ないと反応が返ってきたら悲しい。それでも話したいんだったら余所を当たればいいじゃんか。人である必要もない。独り言だって無機物だっていいわけだろう。聞いてもらえて興味持ってもらえたりという反応があれば嬉しい。でもそれは贈り物みたいなもので、期待をかけたり必死に得ようとするものじゃない、もっと偶然的な、自然的なものだし、得られなかったからといって悲しむようなものでもない。そして僕はそれにさえ怯えて逃げるんじゃないか! 今は興味あってもいずれ失われるんだといって。
だからなんなんだよ。
好きに興味失わせろ。
話したいなら話せばいいだろ、好かれるとか嫌われるとか考慮に入れずに……。
なんなんだよ。
話すことによって反感を持たれたり、敵だと見なされたり、不和が生じることにも怯える。
なんで反感を持たれたくないのか、なぜ敵だと見なされるのを恐れるのか、不和が生じることが許せないのか。
肝はそこなんだよ。
それを受け入れろよ。
だから子供なんだ。