頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

なにも気張る必要はない。ただそこにあるものを見て、受け入れる、それで全部だ。それが全部だ。受け入れないではいられないから。受け入れた上でどうするかが問われているんだよ。自分自身から。

禅問答はもういいよ。

はい。

ちっとも活発に動いていないです。

仕事を探し、挑戦してみよう。

斡旋所に行って、情報を集めて理解し、情報をもとに準備をする、そして雇ってくれるよう訴えかけ、労働をする。順を追っていけば達成可能なプロセスです。問題はただ心理的負担のみ。ものの考え方。捉え方。

あ。体力の問題もある。

あと将来性。

今更将来性とか言われても……。

僕はただ目の前の自分にできることをやるだけ……堅実な積み重ねが長続きしないんだったら、どんなに無鉄砲で、考えなしで、体当たり的でも、ひたすらに動き続けるほうが、人の生き血をすすりながら長い混迷と瞑想を行き来するよりマシに思える。

焦ってる。

今までなにも能動的に動いてこず、動きたいとも思わず、無気力で自堕落に過ごしてきた。今でも、そうして過ごしていたい。できるなら一生をそうして過ごしていたい。でももう無理なんだ。

 

図書館に行って、本を読んだ。回避性パーソナリティ障害に関する本だ。

こんなものを読んでどうしたいんだ? 自分の「できなさ」に名前がつくことで安心する? それに寄りすがってそれを言い訳に使って、でもって人の労力の上にあぐらをかきたいのか?

違えよ。僕は自分を知りたいんだよ。なにができてなにができないのか。できないならそれをどうカバーすればいいのか。できることを使ってなにをしていけばいいのかを知りたいんだよ。自分の性質がわかれば説明もできる。説明するのに名前があるってのは便利だろ?

でカバーする方法はわかったのかい?

いや全然。

なんなんだよ。学びを得ろよ。

 

毎日、もう次の一秒後には死ぬというつもりで生きている。

「母さんが僕に腹を立てているのは、お互いの価値観が違っていて、それを許せないからなのかな?」

弟にメッセージを送った。今までこんな文面のやり取りをしたことはなかった。年に数度事務的なやり取り以外した記憶がない。そもそも口頭でさえまともに話をしていない。僕が笑いかけ、話を振る。弟は一言二言、返事をする。母は自分の入り込めない話題に居心地悪そうにしているか、弟の生活態度に小言を言うかする。弟は母より僕よりずっと、他者との交流を疎み、自分の世界に没頭するのを好んでいるように見える。

「母はある意味まっとうな人間像しか知らないからだと思う。自分は、好きなようにやったらいいと思ってるよ」

無視、あるいは頭ごなしに注意や説教をしたり、その場しのぎの慰めや、冷たく突き放した無関心な言葉が帰ってくるのを想像した。意外にもまともに取り扱ってくれ、僕は泣いていた。弟と、労働についてや、自己否定的な不安についての話をしばらくした。

僕は母親になにを望んでるんだ? もう、ひとりで生きていくんだよ。甘い期待や夢想は、人に向けるべき感情じゃない。自分自身にだけその感情を向けていればいいだろう。そして、その期待を自分は満たしてくれる。