頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

非常にナイーブになっています。

就活ね、しようと思ったけど全然無理。

無理っていうのは、自分が本腰入れて「ヨシ!!これから労働をします!!僕は働きます。賃金を得てその金で自分の生活を維持します」という気持ちにまったく切り替わらない、グズグズの「やっぱ働きたくねー」を引きずっているからだ。

なぜか? 君に都内で一人暮らしを成立させるとかいうクソ高いハードルが飛び越えられるわけないんだからとっとと取り下げて実家に戻れ、これ以上無駄な出費はさせられないというお達しをこんこんと諭され続けてるから。

おかんもおかんむり。

いやそれはそうなる。

家賃が込み込みで6万、プラス仕送り5万、1ヶ月約10万。1年で120万。2年で約240万とかいうクソほどでけえ出費させておいて成果出してない、出せてない状況を維持させ続けるわけない。あと家べつに金持ちってわけじゃないから。ワガママで融資してもらったにしては大きすぎる額。大きすぎる負債。借金。罪の意識。

なんにもしないでヒキってるだけなら地元にいても同じことやんけっていう話。

そうですね。

でも地元にいてもシューカツしないのは同じことだと思う。ひきこもっていられるという偽りの安心感が、生きるためには金を得なければならないという危機意識を殺すから。

最低賃金約1000円。週5日8時間で週に4万。1ヶ月で16万。天引きされて15万くらい?

フルタイム身が持たんだろっていうのがまずひとつ。あと劣等意識と人コワイ状態に手を打たないかぎり生き地獄っていうのと。僕は今まで散々いろんなものに手を付けてはすぐ嫌になってやめるを繰り返してきた人間だから、ひとつのところに留まり続けるとかはあり得ない、すぐにまた状況から逃げ出すと見ていい。そういう生き方に持続可能性はないよねっていうのと。

地元で半パラサイトしながらユックリ社会参画に慣れていけば?っていう提案。甘い誘惑だ。僕はべつにパラサイトしてたくないんだけど。これ以上依存したくない。でも社会参画だってしたくねえよ。一人でいたい。一生を一人きりでこもって過ごしたい。誰とも関わりたくない。嘘!嘘です。人とは関わりたいです。頭ごなしに怒号や叱咤や非難や揶揄が飛んでこない、誰も誰かに指図しない、期待を押し付けない、理想を投影しない、そういう環境なら。

だからないんだって。そういう環境は。

まず自分が自分自身に対して怒ったり非難したりするのに、他人にはそれをするなっておかしな要求だよな。

 

とりあえず若者向けの職業斡旋所行って、現状の説明と進路相談、的なことをやってきたのと、ハロワ行って求職者カード作ってこれおもしろそぉっていう仕事眺めるっていうのはやってきた。ヤギの飼育とか寺院の雑務とか……。

進路相談的なやつは、あまりにも優柔不断な自分が浮き彫りになるだけの悲しいやりとりに終止してました。つーか話の8割すでに知っている事実の説明をマシンガン気味にかまされて終わってたのが悔やまれる。もっと口挟んで自分の考えてること喋りたかった。でも「その情報はすでに知っています」つって話を止めるのがめちゃくちゃためらわれた。気が弱いんです。あの、ここ数日で気の弱さに拍車がかかっててやばい、その傾向は前から強いんだけど、もう今完全に人と接するとき常に低姿勢で愛想笑い浮かべて不必要なまでにへこへこしてて、蚊の鳴くような声で申し訳なさそうにうろたえてて……つらい。こんなことしてたくないのに。なぜやってしまっているのか?後ろ暗いからだよ!自分の生きざまが!自分っていう人間の在り方が。ていうか話に口挟めなかったのは、挟みたくなかったからっていうのもあったよね。話を止めて、まず批判を避けられないであろう自分の考えを喋り出すこと、それを切り出すのに、どれだけの勇気と思い切りが必要なことか!表面上は働く気ありますっていうていで来てるからそれを装ってるけど、本心では逃げ出したい一心しかなく、嘘をついているという緊張感と罪悪感もあった。

あれ。なんの話だっけ。優柔不断。ああそう。そうなんだよな。それなんだよね。意思決定力が弱い。方向性が自分の中でまったく定まってない。そういう状態で話をしてみても、「方向性定めたほうがいいよ」ってアドバイスされて終わりなのは自明の理じゃないですか?

ふらふらふわふわしてる。

母親からはもう今の生活をやめろと言われていて、確かにそこにはやめるべき理由がいくつもあり、検討するに足る選択肢だと思う。僕は打たれ弱くて、団体行動全般が苦痛で、人と接するのに臆病になってしょうがない。そういう人間は賭けるようにサバイバル生活に挑んで心身ボロボロにして生を勝ち取るよりも、基盤作ってペース考えて段階踏んで物事に取り組んで安定を図るほうが明らかに着実。でも、一方で、今の生活、一人暮らしを維持すること、それを独力できるようになること、つまり自立が当面の目標なのなら、いつまでも親に頼ってしまう怠けた気持ちを切り替えて、依存心を断ち切って、さっさと腰据えて仕事にありつけるよう動いたほうがいい、とも思うわけです。でもって、じゃ自立が目標であるなら将来性鑑みて労働に有利な経験や経歴つまり箔をつけるための進学っていう選択肢も消さなくていいんじゃん?無論金と意欲があればの話だけど、とか思い始めたりして一生なんも決まらん。

そういう、意思決定のもとになる細かな条件がたくさんあり、どの条件にも利益と不利益があり、自分の中でどの利益をもっとも優位に位置づけているか。その判断、順位付けができていないですね。つまり僕は優柔不断だねっていう……。

もうひとつ。職員の人と話してわかった。相変わらず僕には「人からどう思われるか」を過剰に気にする癖が根強く残っているということ。

働くにあたっての不安な要因について聞かれて。まぁ雇う側からしたら僕の人間性、経歴とか見て、どうしたって雇いたいとは思わんだろう、そういうのが不安ですね、みたいな意味の返答をした。(実際はもっと過剰に謙虚に臆病に泣きそうな愛想笑いを浮かべながら喋っている、ていうか実際に泣いた。みじめ)したら上記の指摘を受けまして。どう思われるか考えるよりどう見せるか。要は自分がなにをできるか、自分の長所ややる気をアピールできることのほうが大事なんじゃないかという。ごもっとも。でも、すいません、そもそもやる気ないんです、自分の長所とかアピールなんかしたくない、使える人間だなんて評価を自分にも他人にも下したくない、本当に一秒もここにいたくないんです、許してください。助けて。