頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

できることはすばらしい
できないことはすばらしくない
だからできないことはできるようになりましょう、すべてはすばらしくあるために
あなたにとってのすばらしさは僕にとってのすばらしさじゃない
あなたのすばらしさはなんのためにあるのか
すばらしくないものをけなすことを目的にしているのか
そうでないなら、なにを目的としてそのすばらしさを得ようと、得させようとしているのか
あなた自身がすばらしさをすばらしさとして受け止めるだけでは足りないのか
あなたの中のすばらしいものは、あなた以外のすばらしくないものをおとしめなければ成り立たないすばらしさなのか
なぜ貶めるのか、なぜけなし、バカにし、からかい、真剣に扱わないのか
なぜ尊重を忘れる
今、自分がなにを目的にそのように振る舞っているのか、最終的になにを達成することが目標なのか、目標が達成されるためにその振る舞いが最適だったのか、考えてみたのか
あなたにとってすばらしくないものを見下す姿勢が、あなたの最終的な目標を達成するために最適な姿勢だと、僕は考えない

僕はよく見下す
自分を、他人を、文化を、現象を見下す
そして自己嫌悪する
そんなことはしたくないしされたくない
なぜ見下すのか
その行為は自分に何をもたらしているのか
優位性の確保、正当性の確認?
他のなにかをおとしめないと成立しない正当性など求めていないし
僕は誰の上にも下にも位置したくなどない
状況には優劣や正誤ではなく環境の差異がある
環境をからかうことはなにを意味しているんだろう
固定観念の強化?
そうすることで得たいものを得られたと思えたことなどない
なのになぜ見下しを続けるのだろう
本当に得たいものを自覚していないからだろうか
防衛反応として機能しているから止めようがないのだろうか
いいや、見下す以外にも防衛手段はたくさんある
今の自分が欲しているものと異なるものを欲しているからといって暴力を振るっても、意に反する欲求が変わることなどない
そこには欲するだけの理由がある
欲しいものを手に入れようとするために行為という手段がある
行為が欲するものから遠ざかるような方法で、理にかなっていないなら、理にかなうよう工夫するのが適当
見下しは工夫じゃない
見下しは優越感と引き換えに萎縮をもたらす
萎縮は工夫を遠ざける
工夫をさえぎることは目的にかなわない
欲求の達成、理解や尊重という目的