頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

他者の幸福を願うと自分の幸福度もあがるという研究結果

 

僕はいつでもあなたがたの幸せを祈っている

自分の幸福度をあげたいからという理由で

自分の周囲がクッソギスギスしてたら不快だからという理由で

でも、自分が他者の感情の発露や在り方、それを不快に思うそれ自体が、ギスりのスパイラルをまた生んでる

じゃあなにも考えない、なにも感じないのが最適解かというと、そうじゃないと思うし

人間には欲望があって、それを消し切るより、どう付き合うかを考えるほうが僕には重要で

なぜなら100%完全に消し切るには究極死ぬしかなくて、生きてる間は生きてるから

あるものをないとするんじゃなく、あるものとして受け入れないとなんもはじまらんと思うし

 

他者の幸福と自分の幸福の尺度も違う

他者の規定する幸福の範疇に僕の不幸が組み込まれていた場合、僕が不幸にならなければその人は幸せになれないのか

みたいな

その逆もあるし

結局思考停止しちゃって、どうしたらいいかわからない、だからただ祈るしかない

とかみたいな姿勢になっちゃう

なにが幸せな状態かはひとりひとり違っていて、一様にこうすれば正解的な

型にはめるような幸福の在り方を押し付けるのも嫌だし

それは自分が押し付けられるのが嫌だからって理由からだけど

とにかくただぼんやりとたのしいねーっていうあれを期待するけど

たのしくないねってなったときに

それが人の幸福を踏みにじるやり方じゃない方法でほぐされるといいがと思う

思うけどね

 

なにが他者にとっての幸福か型通りに規定できないように

なにが幸福を踏みにじることになるのかも規定できないから

そこは情報の蓄積でしかない

人間の数だけ情報量があって……

一対一ならまだしも、集団になってくるとひとりひとりに合わせるのはほとんど不可能だし

できてもめちゃ疲れる

合わせるのだって相手にとっての完璧な存在として振る舞うことが、すなわち相手にとっての幸福じゃないんだし

疲れて無理してる時点で自分が幸福じゃなくなってるから関係が破綻してる

そもそも力量的に合わせるの無理っていうのもあるし

 

そこだよ

自分の力量を知ってできる範囲でやるしかないんだけど

力量をはかるのは難しい

できないことに挑戦しないと、それができるのかどうかそもそもわからない

できるようになりたいとかならまだしも、したくもないことを、いつかできるようになるって保証もない状態で続けるより

今できる範囲のことを伸ばし続けるほうが、とも思う

僕は僕に関係のある範囲のすべての存在が、僕がそこにいることで不快にならないでいてほしいとか、幸福であってほしいと思うけど、それはできるようになりたいけどできないことの範疇で

でもある程度まではクリアできる基準みたいなのがあるんだったら、それを達成したいとは思う

ただその基準を満たすために自分の幸福度が下がるなら

他者の持つ幸福の基準を変える方向じゃなく、自分の幸福度の基準を下げるよう熱心になるとか、自分が離れるのが最適解というのが今の時点の思考回路っぽい

幸福度の基準を下げるっていうのはすっぱいぶどう作戦で、離れようとするのは引きこもり作戦

なんも根本的に解決しない戦法やなと思う

逃げるばっかで芸がねえし先がない

先はないよそりゃ

それはわかってたことだし、わかってることだ

じゃ、なにかが根本的に解決する戦法って何

誰の幸福も犠牲にしない選択肢の考案

それこそ実現不可能に思える

逃げたくはないよ

でも自分や誰かのなにかを損なうのは恐い

なにかって何

大切なもの

大切なものを尊重しきれる力量を持っていない、だから自分の幸福を求めて他者と接触を試みて損なうくらいなら、黙ってたほうがましだと思う

またこの論法か……

黙ってたいなら黙ってりゃいいじゃんと思うけど、黙ってたくないという自分を圧し殺してる以上

息止めてたいなら息止めてりゃいいじゃんと同義なんだよな

だから自分と一対一になったときはじめて息抜きができるわけで、文字通り

それでいいでしょ、もう、とも思う

一方、いやそうじゃねえだろ、とも思う

圧し殺す以外の戦法がほしいんだよ

 

 

僕は自分の存在が、誰かの幸福に寄与していればいいと思うけど

誰かの幸福に寄与するものだとは心底からは思えず

なんかある一瞬だけいっけんよく思われることは可能かもしれないけど

永続的には無理っすよっていう

それはもちろん他者に対しても同じように思う

一瞬交差的にその存在そのものを、認知するだけで満ちるような瞬間はある

そういう一瞬の幸福で十分なところ

長きにわたる幸福を望むから混乱するんだろうと思う

しらんけど

ていうか生きてるだけでなにかを犯したり害したりして成立してるわけだからそもそも

肉体を維持するのにどれだけの糧がもちいられ、その糧がどれだけのエネルギーのもとに成り立っているのか

今みたいな構造形態にいたるまでにどれだけの思索が堆積されて共有されてきたのかとか

僕はそのエネルギーにあたうほどの存在であるとは自分を認められなく

だから価値ある存在にならねばとかいう強迫観念に苦しめられたし

でもその強迫観念が自分を苦しめてるんだったら、それは幸福から遠のいてるし

価値を求めることで幸福でない存在になるなら、じゃあその価値ってなんだよつって

わかんないですけど

 

それにしても改めて言葉にして思うけど

ゴールの設定が絶対的で永続的な幸福の寄与とか

それは人間の到達できる地点じゃねえだろと思う

神にでもなりたいんすかつって

そういう考え方を嘲笑したり、中傷できるいろんな言葉を知ってるけど

したくないのでしないです

真剣なんだ

でも無理だよ

地に足ついてなさすぎる

地に足つけるところからはじめろと思う

フィールドワーク

どうすれば地に足つくのか考えるけど

考える時点で足離れてるから

現実に即したあれこれにいちいち拒絶反応起こしすぎなんだよな

現実拒絶反応に対する逃避としての思考なんで……

どうしたいのかとか、どうすればいいのかとか、なんとか

現実に即したあれこれにいちいち起こしてる拒絶反応に対して逃げずに自覚的になるっていうところから

逃げる以外の戦法を体得しようとしてるんだけど

そんな弱い部分をかばいながら動いてる感じじゃ動きづらいままだろってのは思うし

弱い部分かばいたくなくなりたいという発想からの暴露療法的なナラティブセラピー的なこれでもあるっていう