頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

あ〜虚無だ 虚無襲ってきた
日記。
昼過ぎに起きて夕方出かけて、散髪。靴下が足りなくなったので買い足して、昼食べそこねてお腹すいてたので、食べたことないもの食べよと思ってはじめてモスバーガー食べた。外食を、全然しないので新鮮。店内は老人の憩いの場になってて、生活の話や遊びに出かける予定の話で盛り上がっていた。二人組が二、三組。一人が数名。人。会話。時間。食事。その共有。30分くらいぼんやり居座った。スマホいじって小規模な企業で生き延びる系のあれの記事をだらだら読んだり、楽しみにしてたイベントの抽選チケット発売が開始されたので申し込みしたりした。食料の買い出しして帰宅。作り置きを二品、今夜食べるぶんを一品作って、夕食。好きな実況動画を見る。ごろごろしながらネットを見る。僕は経済の中にいて、そのシステムを利用してる。経済は人間が回していて、人は、人と人の間で生きてる。間違いなく僕は人と関わりながら生きているのに、人と密に関わっているという感覚が持てず、不思議な感じがする。人との密な関わりを恐れ、避ける。自分を明かすのを恐れている。自己開示、自己主張、自己説明。密な関わりを避けるよう訓練を積んできた。出る杭は打つ、という空気。「出る杭」は「ない」ものとして扱われる。あるいは腫れ物のように。あるいは迫害の対象に。出る杭でないように振る舞うという訓練。

今日は虚しさがすごい。生活はいい。それを維持するための出勤がひたすら、憂鬱。
正社員並みの能力、そして『コミュ力』を暗黙に要求されながら、それに応えない自分という構図、胃が痛え。こう思う。嫌なら辞めて別の仕事を試せばいいんだ。フットワーク軽く。試行回数を増やそう。どうせ失うものもない。違う。まだ失い足りない。失うことを恐れるから自分を縮こまらせる。信用を、培っている最中なんだ、と思う。長期勤務とかいう実績、肩書き。それで?信用を失うのが怖い。でも信用を得ることに固執したがる強迫観念も恐れてる。

ツイッターで見かけた、芸人が多種のバイトをちょっとずつつまんで体験する番組。局がネットで最新回を無料配信していたので眺めていた。キャバクラのバイトが地獄すぎて震えた。支配欲、性欲、名誉欲、金銭欲、贅、贅、贅。圧力、怒り、軽蔑、力関係。尊厳とは、ないがしろにされるためにある。本気で立ち直れそうにない仕打ち、環境に、しかし芸人は気をたしかに持って這う這うの体で復帰する。その姿、したたかさに心を打たれる。なんで平気なんだ。僕なら病気になってる。どんな目に合っても自分は立ち直れる、平気であるという感覚。うらやましい。それが欲しい。

立ち直りの早さ。それは社会的なつながりや、安全地帯の数に比例するのだろうか。依存先は複数作れとはよく言うが。僕はただ自分の存在ひとつだけを頼りに、ただそれにだけ依存している。その状況、どうにかしたいけど、どうすりゃいいんだか。

僕は、傲慢だ。拒絶という形で人を選ぶような真似をする。話が通じないなら、お互いを本気で理解し合う気がないなら、お互いの知的興奮を刺激しあえないなら、単なる表面上の、惰性の付き合いを維持するのは面倒くさいと思ってしまう。決して踏み込ませはしないというオーラで武装する。愛想笑いと日和見主義。なぜ踏み込ませたくないのか。理解に伴う相互の変質を恐れるから。保守派だね。『傷つき、傷つけ合うことは恐ろしい』、うーん、手垢のついたリリック。でも、僕は踏み込みたいよ。踏み込ませたい。でも……やっぱり踏み込むのは失礼だ。その逡巡、ためらいで、感覚を膜のように覆う。そういう癖がある。踏み込むタイミング、関係性、そんなのを育てる一切の機会を放棄してきた。逃げ続けた。一言でいうと、臆病。