頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

奉納6

地元でパラサイトニート状態だったとき、一刻も早く実家から離れないとあかんという強い危機感があったのは、食うに困ってなかったから。食うに困ってないから現状を変えるための逼迫感もなくて、それがおぞましかった。いや逼迫感あるにはあったけど、せいぜい引け目があって罪悪感がひどい止まりで、止まりとかいってめちゃくちゃ苦しんだけど、でも持てるすべてをなげうって生きようというラインにまでいかない。真綿、ぬるま湯。結局僕はその場しのぎの安寧を満たすことができれば自分の欲のために親を、他者を食い殺せる人間なんだ。それがよくわかった。だからこそ逆に危機感が強まった。危機感を持たない限り一生親に寄生し続けるという確信があった。自分はそういう人間だと学んだ。僕は殺すなら惰性でなんとなくみたいに殺すのは嫌だ。自分が殺したんだという自覚を持って殺したい。無自覚になんとなくで殺したくはない。僕は自分が生きているだけで顔も知らない誰か大勢の人間を殺し続けていることを自覚している。生きるのは殺すことだ。でも目の前の親のことを自分の欲のために殺すのは嫌だった。なんですぐ死ぬとか殺すとかいう話になってしまうのか。今に始まったことじゃないけど地に足つけて考えるのがへたすぎる。だって地に足つけて考えようと思ってないもん。脳直っす。

例えば食うに困ってなかったら、食うに困ってないその環境を保持し続けるだけで生きていけるわけだ。別に今ぜんぜん食うに困ってないけど。月に10万ももらってないけど、食料を買えないほど貧してない。貧してないどころかめちゃくちゃ豊かや。着るものも寝床もある。火を使って料理もできるしお湯張って風呂にも入れる。ゴミは集めて捨てれば知らないところで知らない人たちに処分してもらえる。糞尿を排泄したら水に流すだけで知らないところで知らない人たちに処分してもらえる。知らないところの知らない人たちが作って維持した施設の設備で部屋に灯りがつくし空調が調節できるし電波を通じて距離を問わず情報を得られる。誰かの作った食材、誰かの作った家具、誰かの作った日用品、誰かの思想誰かの言葉だ。なんとすべてが他力。なにひとつ自分の力で及ばない。集団の力。限りない贅沢。なぜこのような贅を尽くせるのかというと、長い時間をかけてそのようなシステムを構築してきた人々がいて、またシステムを維持する人々がいるからで、システムの恩恵を受け取るため人々に必要なぶんだけの対価を僕が支払ってるからで、さらに、僕が対価を支払えるのはシステムを維持したり構築したりする手伝いをしてシステムからお金を受け取っているからで、そのお金はシステムを利用する人々のふところから出されたもので……けいざいはすごいなぁとおもいました。わけわからん。

とにかくだ、現状だって相当贅沢で、僕には余りあるという感じがする。過剰だ。なにが必要なんですかねこれ以上。

物を買ったり金を払ったりするときひどく罪の意識を感じる。そこに働く他力。自分がものを受け取るまでに経ている流れ。それが不透明だから?なにか自分の加担したくないやり方で作り上げられてきたものに対価を払っているんじゃないかと想像して胸が悪くなる。そして実際に自分の加担したくないやり方で作り上げられているに違いないと思い込む。システムの構造そのものから離れたくなる。0か100しかねえのか。

経済市場において人間は役割になる。役割が売買されている。社会、大衆、消費者に求められている役割、ある機能があり、役割は機能のために提供される。提供できなければ人は人とはみなされない。義務を果たさず権利を要求することは認められない。義務とは役割を担うこと。より高級に、正確に、機能的であるようにという役割。与えられた課題を解決すること。義務を果たさないのは不名誉で不誠実で恩義に反する犯罪だ。あなたは権利を享受しているのだから権利分の義務を果たしてしかるべきだ。という脅しを始終受け取っている気分になる。暮らしていると。

権利。ある水準を満たす生活を得られる権利。生活を人質に取られて役割に従事させられている人を見るとそんなことしなくていいと言いたくなる。誰かに苦役を強いさせるなら贅沢など不要だと思う。生活を人質に取られて役割に従事している人間。母はその代名詞。システムが母に求める役割の要求量はひどく過剰だ。母は不満や恨みや疲労や重圧に苦しむ。苦しませたくない。でも母には選択権がない。曰く、生活を人質に取られているから。僕は人質の一部。僕は母が命と時間と魂を削って得た金で生かされた。ぞっとする。冗談じゃない。あなたが魂を売春して作った金でなど生かされたくない。お願いだから自分を大事にしろよ。幸せになってくれ。あなたがその苦しみを背負うと納得し決めていたとしても僕は自分が人質に取られるようなやり方であなたを苦しめるものを肯定することはできない、僕までそれに組み敷かれるわけにはいかない。僕は魂まで売らない。あなたにも、誰にも。システムは単なる機能だ。魂を明け渡す必要などない。自分の身は自分で守る。

 

生活。どんな状態を維持したいのか、どういう状態に落ち着けば不満を感じず満足を得られるのかに思いを馳せてみるが、現状に満足し切ることなんかないんだろうなということだけがわかる。常に不満はあって、でも生活が成り立っていないわけじゃない、というバランス。バランスの問題。

暮らしが成り立つ成り立たないの線引きを自分の中でどう引いているのかわからないな。これが最悪っていう生活レベルを考えてみても、そこから抜け出そうとする自分を想像するのが難しい。実際、それで何年も引きこもり続けた。保身。変化を嫌う。環境に働きかける行動を限界まで避ける。実際には「働きかけない」という行為を働きかけているのに、それで避けた気になってる。避ける。どう避けたか。内的世界に逃避することで苦痛の一時しのぎを繰り返す。なんで?どうしてこんなに環境への働きかけに消極的なんだろう。「声を上げるとひどい目にあう」という漠然とした思い込みがあるから。「ひどい目」に対処できない自分、対処に失敗して殺されてしまう自分、という弱者像、被害者像に甘んじる自分を見る。

対処に当たろうと思ったとき考慮に入れるのは、できるかできないかじゃなくて、するかしないかじゃないのか。やると腹をくくったらやるだけだ。あとはどうすれば目的が達成されるかだけに集中できる。できるならやる。できないならどうすればできるのか模索する。やらないと決めたのならやらなければいい。でもできるかできないかを意思決定の基盤に据えるのは余裕ありきだ、できないことはやらなくてもいいという余裕。もちろん余裕があるに越したことはない!やりたくないことはやらずにすむのが一番だ。でもやってもやらなくてもどっちにしても死ぬ状況なら、やるほうがまだ活路を見いだせる。黙ってなにもわからないまま死ぬより多くのものが見える。知るを欲するならやるしかない。死にたくないならやる以外の選択肢など消える。

ずいぶんマッチョな考え方だな!

違う。窮鼠の思想だよ。

やりたくなくてやらなかったら死ぬなら、やって生き残るよりやらずに死ぬという選択肢もある。

ていうかはよ死にたいんじゃなかったんか。

わからん。でも僕は自分の生死を支配したりコントロールすることに興味がない。そうじゃなくて今生きてるんだからとりあえず今生きてる自分は尊重するくらいの距離感。僕が死を望むときそれは命の終わりを乞うているわけじゃなく、すべてのしがらみから解放されて無になりたいという願望からで、それは生殺与奪とかそういう軸の話じゃなく煩悩、欲求の一つで、腹減ったからなんか食べたいとか眠いから寝たいとかそういうのの一種だ。その欲求の中に痛い目にあいたくないから危機回避するってのも含まれてるし、一切が煩わしいから一切から解放されたいという欲求も含まれてる。でも解放される方法はいきなり生命活動に終止符を打つ以外にももっといろいろ手段があるはずで、そう思えるから自殺してないんだろうな、余裕だな。

なんだこれ。そもそもなんでこんなこと考えているのだ。人事の人から"自主性のなさ"とその改善を暗に指摘され続けてきて、はぁまあそれは事実ですけどと思い、なぜなら他人や環境に対して一切自分から必要以上になにかを働きかけるような行為をしないので、僕は別に自分に自主性がないとは思わないけど自主性がないように見える振る舞いをしているのはその通りだと思う。そこに文句はないんだけどなんでそこまで求められなあかんねんということにまでいちいいち応えていたらきりがないと思うんだけど、なんでそこまで応えてもらえるという前提で要求してくるのか。賃金お支払いいただいてるからだったわ。じゃあいらねえよ!受け取らねえよその金はよ!でもお金がないと死んじゃいます、生活を他力に依存してるので。エヘヘッ。どの口が魂は売らないとか言ってんすか?つーか必要以上に干渉しないってことは必要なぶんだけは自主性発揮してるってことだろうが!許して。勘弁してください。いや必要量満たしてないから要求されてるんじゃないの。それもそうだな!お次は腹踊りでもしましょうか?どこまで釣り上げてくるか見ものだな!極端なんだよ思考回路が。果たしてそうかな?僕は自主性を持ちたくないのか?持ちたくないね、手に負えない面倒はごめんだ、暗くて不気味で消極的でなに考えてるかわからん昼行灯だと思われてるなら、それはそれで別にそういうキャラって扱いでよくねえか、よそよそしいわけでもないし無視もしてない、挨拶もするし笑顔で相づちは打つし雑談ふられたら聞き役にもなる、全部親の機嫌伺うために培ってきた技術じゃオラ、いややることやってるでしょ、こんだけやって逆になにが不満なんだよマジで。もっと自己開示しろとか話し役に回れってことじゃないすか、話題振れば?え、むり話題袋の中身からっぽ。用もなく雑談で自分から話しかけたり自己主張するなんてよっぽどハイになってないとやらないよ、めちゃくちゃ神経使うんだよ。用ってか目的ならあるだろ、自己開示をして自分の情報を明かし安心感を与える、安心したいんだろ、不安なんだろう僕がどういう人間なのかわからなくて、知らんけど。でもこんなぐちゃぐちゃの中身みせられるわけねえわ。困らせるだけだし。本当に勘弁してくれ。でも、自己開示できるようになりたいよ、絶対できたほうが楽だし便利だと思うよ。慣れだよ。すべては慣れだ、惰性と習性だ。またすべてとか言ってる。自分の好悪を、趣味を、主義を、考えを明かしたくない。それを明かすことは暴力を振るうことと同じに感じる。なんでだ。とにかく、それはとても恐ろしい。だからこうやって暴力振るい慣れていこうとしてる。加減なんだよ。バランスの問題だ。力の振るい方を覚える必要がある。生きることは殺すこと。