頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

ガラスの街

 

言うまでもなく、クインはとっくの昔に、自分をリアルだと考えることをやめていた。もしいまも自分が世界のなかで少しでも生きているとすれば、その生のマックス・ワークの架空の身体を介した一段へだたった生である。それに対して、彼の探偵は、必然的にリアルでなければならない。探偵小説の本質がそれを要求している。クイン自身は、自分が消えるままに任せ、 隠者めいた奇妙な生活の奥にこもっていく一方、ワークは他者たちの世界で生きつづけた。クインが消えれば消えるほど、その世界でのワークの存在はますます堅固になっていった。 クインはどこにいても場違いな気まずさを感じがちだが、ワークは何ごとにも動じず、舌の回転が速く、どんな場所に迷い込んでも平然としている。クインにとっては厄介そのものの事柄も涼しい顔で受け止め、波乱万丈の冒険もこの上ない落着きと無関心を持って切り抜ける。創作主としてはつねに感嘆する他なかった。クインがワークになりたいと思った、というのとはちょっと違う。ワークのようになりたい、というのでもない。むしろ、本を書いているあいだワークになったふりをすること、たとえ頭の中だけであれその気になれば自分だってワークになる力があるのだと思えること、それがクインを励ましたのである。

 

「誰ですって?」

ハンプティ・ダンプティ。おわかりでしょう。卵の

「あの『ハンプティ・ダンプティ、へいにすわった』の?」

「そのとおり」

「わかりませんね」

ハンプティ・ダンプティ、人間の置かれた状況のもっとも純粋な具現化です。いいですかあなた、よくお聞きください。卵とは何でしょう? いまだ生まれざるものです。これはパラドックスではないでしょうか? いまだ生まれざるなら、どうしてハンプティ・ダンプティは生きていられましょう? にもかかわらず、彼は生きています、間違いなく。そのことがわかるのは、彼が言葉を喋るからです。それ以上に、彼は言語の哲学者です。『私が言葉を使うときは――とハンプティ・ダンプティは、いささか蔑むような口調で言いました――私がそれに持たせたいとおりの意味を言葉は持つのであって、それ以上でもそれ以下でもないのだ。問題は――とアリスが言いました――言葉にそんなにたくさんの意味を持たせることができるかどうかってことよね。問題は――とハンプティ・ダンプティは言いました。――どっちが主人かってこと、それだけさ』」

ルイス・キャロル

「『鏡の国のアリス』第六章」

「面白い」

「面白いでは済みませんぞ、あなた。決定的に重要なのです。よくお聞きください、あなたにもためになる話ですぞ。アリスに向けて行なったささやかな演説において、ハンプティ・ダンプティは未来における人間の希望を描き出し、人類救済への鍵を指し示しているのです。すなわち、人間が人間の語る言葉の主人となること、言語をして人間の必要を叶えせしめること。ハンプティ・ダンプティは予言者だったのです。真実を語った、世界がまだ受け入れる用意のできていなかった人物なのです」

「人物?」

「失礼。口が滑りました。卵ですな。だがこの言い違いは、真実を衝いた、私の論を支えてくれる誤りと言うべきでしょうな。言うなれば人はみな卵だからです。私たちは生きて存在していますが、己の運命たる次元にはまだ到達していません。我々は純粋な可能態であって、いまだ訪れざるものの一例にほかなりません。なぜなら人は墜ちた存在だからです。創世記にある通りです。ハンプティ・ダンプティもやはり墜ちた存在です。塀から墜ちて、誰も彼を元どおりにできない。王さまも、王の馬たちも兵たちも。ですがそれこそまさに、人がいまみな努めるべきことなのです。それが人間としての私たちの義務です。卵を元どおりにすること。なぜならあなた、人間一人ひとりが、ハンプティ・ダンプティだからです。彼を助けることは私たち自身を助けることなのです」

「説得力のある論だ」

「反論のしようはないはずです」

「何のひびもない卵」

「いかにも」

 

 

「でも何だってサンチョもほかの連中も、そんな面倒なことをやる必要があるんです?」

ドン・キホーテの狂気を治すためです。彼らは友を救いたいと思ったんです。覚えてらっしゃるでしょう、冒頭で彼らはドン・キホーテの持っている騎士道物語をみんな燃やしてしまいますが、効き目はありません。憂い顔の騎士はいっこうにおのれの妄執を捨てません。そこでみんな、それぞれ思い思いの変装をしてドン・キホーテを探しに行きます。ドン・キホーテを丸め込んで家に連れ戻そうと、悩める乙女に、鏡の騎士に、銀月の騎士に身をやつすのです。最終的に、彼らの試みは事実成功を収めます。本は彼らのさまざまな作戦のひとつでしかありませんでした。要は、ドン・キホーテの狂気に対して鏡をかざし、彼の馬鹿げた、愚かな妄想を逐一記録して、やがて本人が読んだ時におのれの過ちを悟らせようと目論んだのです」

「なるほど、面白い」

「でしょう。ですがまだもうひとひねりあるんです。私の見解では、ドン・キホーテは本当に狂ってはいませんでした。狂人のふりをしていただけです。それどころか、すべては彼が陰で操っていたのです。いいですか、作品中ずっと、ドン・キホーテは後世という問題にこだわっています。何度も何度も、実録者が自分の冒険を正確に記録してくれるだろうか、と気にしています。これはつまり、ドン・キホーテが事情を理解していたことの表われです。実録者が存在することを彼はあらかじめ知っていたんです。そしてその実録者とは誰か。これはもう、忠実なる従士サンチョ・パンサ以外にありえません。ドン・キホーテはまさにこの目的のために彼を選んだのです。同じように、ほかの三人を選んで、役を割り当てたのも彼でした。ベネンヘーリ四人組を作り上げたのはドン・キホーテだったのです。作者たちを選んだだけでなく、アラビア語の原稿をスペイン語に訳し戻したのもおそらく彼でした。ドン・キホーテならやりかねません。あれほど変装の術に長けた男にとって、肌を黒くしムーア人の衣装をまとうくらい訳なかったはずです。トレドの市場での、その情景を想像するのは楽しいですよ。ドン・キホーテの物語を解読させる仕事に、セルバンテスドン・キホーテその人を雇う。実に絵になる構図です」

「でもまだ説明してくださっていませんよ、なぜドン・キホーテのような人物が、わざわざ静かな生活を中断してそんな手の込んだいたずらにかかずらわったのか」

「そこがまさに一番面白い点なんです。私が思うに、ドン・キホーテは実験を行なっていたんです。同胞たる人間たちの信じやすさを試そうとしていたんです。世間にわが身をさらし、この上ない確信をもって嘘やナンセンスを語ることは可能か? 風車を騎士だと言い張り、床屋の金盥を兜だ、人形を本物の人間だ、と言い張ることは可能か? 言いかえれば、それが愉しみを与えてくれるものなら、人はどこまで冒涜的言動を許すのか? 答えは明白でしょう? どこまでも、です。我々がいまも『ドン・キホーテ』を読むことがそのいい証拠です。この本はいまだに我々をおおいに愉しませてくれるのです。結局のところ、人が本に求めるのはそれに尽きます――愉しませてくれること」

 

住環境を整え、肉体的に生活を維持することに、毎日一定の時間が割かれた。とはいえ、概して時間はたっぷり残った。誰にも見られたくなかったから、他人は極力避けねばならず、ゆえに他人を見ることも他人に話しかけることもできず、 他人について考えることもできなかった。昔から自分は独りでいるのが好きな人間だとは思っていたし、この五年間は進んでそうしてもいた。だがこうして、路地の暮らしを営んでいくことで、本当の孤独とはどういうものかをクインは知った。もはや自分以外、誰一人頼れるものはいない。路地で過ごした日々に為した様々な発見のうち、これだけは疑いなかった――自分が落ちていきつつある、ということ。が、そんなクインにもわからなかったのは、落ちつつあるのなら、どうやってその落ちる自分をつかまえることができるのか?という点だった。上と下に同時にいることは可能か? それは筋が通らぬ話のように思えた。

 

目が覚めると部屋は暗かった。どのくらい時間が経ったのか、よくわからなかった。いまは同じ日の夜なのか、それとも次の日の夜なのか。夜などでは全然ないという可能性もあるな、 とクインは思った。単に部屋の中が暗いだけで、表では、窓の向こうでは陽が照っているのかもしれない。少しのあいだ、起き上がって窓まで行って見てみようかと思ったが、どうでもいいことだと思い直した。もしいまが夜でなければ、やがてあとで夜が来るだけの話だ。それは間違いないことである。窓の外を見ようと見まいと答えは同じだ。その反面、ここニューヨークが事実夜だとするなら、どこかよそではきっと陽が照っているにちがいない。たとえば中国はいま午後なかばで、田んぼに出た人々が額の汗を拭っていることだろう。夜も昼も相対的な言葉でしかない。絶対的な状況を指し示しているわけではない。いついかなる瞬間も、つねに夜でもあり昼でもある。我々にそれがわからないのは、我々が同時に二つの場所にいられないからにすぎない。