頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

日記

5年とかさかのぼったら僕は今以上に無口で陰険だったし、とにかくなんにでも閉口してて、口におもりが付いてるみたいだった。もう少し今に近づくと、1年前あたりは、無口と陰険が怒りに進化して、怒って怒って怒り散らしていた。子供の癇癪が、もっと陰惨になったバージョンの爛れた怒り。それでも無口は無口だったので、破裂するような怒り方じゃなくて、鬱血した皮膚から血がしみでてくるような怒り方。少し前までは悲しくてしかたなかった、泣いても泣いても痛くて悲しくて耐えられないと思った。意外と耐えられた。だいたいなにに怒ってるのかとか、なにが悲しいのかとか、きっかけはなんであってもよくて、というか、なにであってもすべてがきっかけになりうる、少しの刺激が劇物になる、きっかけになる現象自体はむしろ、感情の発火の中で重要性を失っていく、打つ手がない、過ぎ去るのを待つ以外に。でも喉元すぎるとみんな他人事みたいに感じる。忘れっぽいから。諦念と癇癪と悲観は地層を形成するように保持されたまま、持て余しているなりに騙し騙しやってこれた。すごいね。今は恥ずかしいな。すごく恥ずかしい。

また趣味のことを聞かれたよ。休みの日はなにして過ごしてるの?趣味?趣味ってなんだろう。趣味なんかないな…。そのときのタイミングでやっていることをそのまま答える。最近はNetflixで映画とか見てますよ。ネットでアマチュアの人が作って公開してるゲームが遊べるんですけど、そういうのやったり…。だいたい家にずっと居てツイッターとか見てますね。一日寝て過ごしてます。なんだろう、読書したりとかしてますよ。ネットで動画見てます、今はゲーム実況が面白くて。雑談が長続きしない状況、帰り際のすれ違いざま、急ぎの用事の途中で用事を言いつけた伝えたついでにとか、そういう場面でとっさに聞かれて、とっさに答える、なぜかそういうパターンが多い。それで一方的に、しょうもない趣味だなあとか、苦笑気味にわかりましたとか言って、雑に話を切り上げられるとわりと傷つくんですけど…。なんで話振ったよって。興味ないなら興味ないでほっといてくれないかな。まあ、そうもいかないか。従業員の人間性を把握するのも仕事のうちだろうから。もうちょっと僕に積極性があったら、なんか、自分から自分の話をきっかけに雑談振ったり、場を和ませるようなこと言ったり、敵意がないです、あなたがたに興味があり、ちゃんと気にかけていますよ、そう振る舞うこともできるんだろうか、でも嘘っぱちだから無理だな、敵意あるし、興味はないし、なにがどうなってもどうでもいいと思ってるから、嘘をつけないのでそのかわり最低限、求められている仕事だけやるっていう。暗~。

休日は、最低12時間眠っている。疲れているからたくさん眠る。眠りすぎでまた疲れる。前日、帰ってきて風呂に入って、食事をとったらすぐ眠くなる。それで夜20時に寝たら、深夜0時に一度目が覚めて、それきり目が冴えてもう眠れなくなる。夜中の間、もう一度眠気が来るまで起きて活動していて、朝6時とかにまた寝る。目が覚めたら夕方18時。翌日が出勤だったら、朝6時に寝つけたその2時間後とかに起きて、這い出すように出かけていく。ようやく眠れたところですぐ起きないといけない状況では眠気のあまり、自分で自分を呪い殺したくなる。自己管理がヘタクソです。生活リズム乱れまくっている。でももうずっとこうだから、乱れていない状態のほうが逆に異常事態だと感じる。

昨日の台風は被害がなかったどころか、直撃した当日はシフト通り休みで、今日は交通網麻痺ってて事実上出勤不可能ってことで代休扱いに。でも両日とも引きこもって、ほとんど一日中寝てた。それ以外なにしてたっけ。延々動画見てた。動画見るかツイッター見るかしかしてねえ。不健全だなあ。災害となるとおかんがめたくそに元気になって、ラインからいきいきと心配のメッセージが飛んでくる。これこれこういう対策をとか、避難経路がどうとか。テンションの落差がすごい。もうめちゃくちゃダウナーになって、そうだねー怖いねーって相槌打つのもだるい。怖いどころか、地球に殺されるならそれが一番いいやと思う。だるい、どうでもいい。気分だけはむしゃくしゃして、全部なくなれ、全部死ねと思いながら、頭はよたよたふらふら。でも、ひどい目に合ってる人には、それ以上ひどい目に合ってほしくないから、ひどい目に合ってる人の世界から、ひどい目に合わせるものが薄れて全部消えて、都合よく快適な世界になったらいい、ぼんやりと思考を上書きする、でも、そんな世界は相当嘘くさい、また脊髄反射の幼児みたいな価値観で気に入らないものを消そうとする自分に嫌気が差して、僕は誰かにとっての、ていうか自分にとってまず気に入らないもの側だから、真っ先に消えるんだろうな、ひどいとかいうけど、どういう因子がどういう結果につながるかなんてわからんのだから、結果をコントロールするような考え方に支配されてるの、本当嫌だ、人間万事塞翁が馬、気に入らないとかこういうのはひどいこととか全部主観でしかなくて、じゃあそういうのを排していった世界はその主観の主以外にとっての不都合で非快適なひどい世界だよ、とかなんか、気分で出てきた言葉になんかごちゃごちゃ考え出して、うるせえめんどくせえ、なんもかんも一回全部滅びればいい、で一周回って全部死ねに戻ってくる。安全な屋内にいるから、こういうことも考えられる。安全な屋内、それがある、そこに至るまでの歴史に思いを馳せる。気が遠くなる。

なにもする気が起きない。気圧の影響かしらないがずっと気分が悪かった。頭痛とめまいと吐き気がして気持ちが悪い。寝ても寝ても眠い。ぼーっとしてなにも考えられない、なにかをしようとか、なにをしたいとかいう気持ちが薄くて、湧いても力が出ず行動に移すまでに至らない。疲れているとしか表現できない。疲労。疲れました。こういうのも、メンタルクリニックで処方される薬と、永久の自助努力で適応可能になるんだろうか、と思い、次の瞬間即座にめんどくせえに変わる。生き延びる努力をする前に生き延びる意味を考える。生きていればそれなりにおもしろおかしいことはあるのに、そのためにがんばろう、力を発揮しようという気持ちにならない。適当でいい。なんとかなるならそれでいいし、なんとかならないならそれでいい。そのくらいでちょうでいい。それでいいです。それがいい。燃え尽きるまでなにかに命をかける、命を削る、そういう体力がない。走って、歩いて、止まって、その繰り返し。ずっと走り続けるのは無理で、走れる距離は短くて、歩くのもすぐ疲れて、気づいたら止まってる時間が長い。それだけ。なんでこんなに疲れるんだ。

シロップのライブに行ってからもう一週間以上経ってる。そうか、早いなあ。ツアー自体はまだ続いてるけど、自分の中では早くも思い出になっている。思い出になってるのか?頻繁に思い出すけど、思い出すのは画像としてのイメージで、音の記憶はもうあんまりない。会場で聞くまで、あんまり印象に残ってなかった曲のメロディーと歌詞が、聞いて以来ずっとループし続けている。悲しみを追い払ったら、喜びまで消えてった、あの日から僕は全力で、走ることをやめたんです。(I'm not)by youってタイトルで、何度もこのタイトルがサビで繰り返されるんだけど、アイムノットバイユー、リンキングのせいで、アナルバイユーって言ってるようにしか聞こえなくて、絶対笑う、連呼すんな。情けなくて悲しい、ちょうどいい。

 

なんかね、自分に酔ってないと生きてられないんですかってくらい、自己憐憫がすごいよね。昔だったらこれでまた自分を殴って消耗してたんだろうな。矯正矯正で…。今はもういいや、いつものことだ、自己憐憫が平常運転っす。

自己憐憫って検索すると、どうしたらそれを克服できるかって記事が上位に出てくる。うける。パーソナリティに関するあらゆるハウツー、対処、克服法が、こういう具合に手短で簡潔にわかりやすくパッケージ化されて、まとめられているんだろうな。全部おなじになるように。全部望まれたおなじ形に収まるように。でも、こりゃ自分の手に負えないなと思ったら、どう対処すればいいのか、どう克服されてきたのか知りたくなるのは、それも道理か、とも思う。体験の中から手探りで、過去のデータベースをあたってとか、手法の差はあれ。それはいいんだけど、その方法を探る動機が、こんな風に自分や人を苦しませたり悩ませたりするようなものは良くないもので、良くないものはこの世から消えてなくなって然るべき、みたいな思考と結びついている、それがね、長く根付いてた、10代はずっとそうだった。正義。正しさを信じてる。なにか正しいものがあるとか、より善いものがとか。自分の正義になんの疑いも持っていないのは怖い。自覚したあとでさえ無意識的に同じことを繰り返し、今後もずっとしていくんだろうな。それも怖い。それで、無口で陰険に。でも、そうやって正義心に不寛容になって、正義を否定することででも、対処も克服もできなくて、期待はずれだったよね。今でも正義心強い人を見ると、反射で同族嫌悪を感じるし、自分の正義心が自分にやってきたことを思い出して、なんなら憎悪も感じる、もしくは、無邪気さへの羨ましさ、軽蔑、微笑ましさ、距離感や温度差に感じるズレ、そこからくる寂しさ、そういうのがない混ぜになったような。前はこういうグチャッとした感情に引きずられ倒してたけど、今は、わりと遠目で見てる感じ。あるよね、そういうの。あるある。アンチ自己コントロール、正義アレルギー、そういうのにまた苦しんで。あはは。まじでよく飽きずにこんなことばっか考えてるな…あーあ。要領悪いから、それに人生と頭が支配されている。スイッチ切り替えられたらいいのにね。やるべきことがあるときは、なにも考えずにそれだけに集中できるように。やるべきこと。なにもやるべきこととかないんだよな。本当になにもない。全部余生で。だから切り替える必要性にも駆られてないっていう。こういう状態にならないように、人は生きる上でやるべきことを作ろうとするのかな。やりたいこととかないの?ねえよ。ないなあ。中、長期的な目標、計画、将来設計。孝行、貢献、奉仕。夢、進学、貯金、交友、恋愛、就職、昇進、結婚、繁栄…文明や科学の発展、人類の進歩と調和…。コマーシャルの世界だ。ビジネスだね。busy-ness…。忙しくしていれば、その間は考える余裕も生まれないから、考えないためには、忙しくしているのがいい。考えすぎて憂鬱になるんだから、体を動かして忙しくしてりゃ治るって論法。反吐が出るが、一理ある。まあ、ビジネスとコマーシャルの世界はごめんだ。

 

 

台風が明けて、夕方起きて、外に出た。もう日が落ちて、空が紫と桃色で、歩いていくうちにも鮮やかさがあせて、どんどん青く暗くなった。川は増水して、流れが早かった。川に反射する灯りの光がつやつやして、なまめかしかった。橋の上で、ジャージのおじさんがスマートフォンを空に向けているのを見た。なにを撮っているのかと思って振り向いたら、気が狂いそうなくらい黄色くて巨大な満月があった。空に穴が開いてるみたいだなと思った。