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自我への執着。
ある、特定の自分にこだわる。
ある特定の自分で在ることにこだわり、そこから抜け出せない。それを手放せない。
自分はいくらでも変わることができる。
変わっていくことができる。
絶えず変わっている。
変化を続けて今がある。
産まれて間もない頃、言葉を喋れるようになった時期、会話を交わせるようになったときと、今とで、違っているのは表層上の部分だけ。自我だけが移り変わる。
環境と、それにともなう課題。課題への対応と、それに挑む態度。
それらは時によりいくらでも姿形を変えてきたはず。
移り変わり、循環すること、動き、流れることこそが治癒に不可欠であると思う。とどまり、じっとすることとの両輪で。
ある瞬間から、どこかである状態に固執しはじめ、変わることを拒み始める。
なぜ変わることを拒むのだろう。
自分を自分たらしめているものは自我だからだと思うから?
自我。『意識する私』。自己同一性。
意識が過去、なにを切り捨て、なにを積み上げ、どうやって今に至ってきたか、自分の行動に一貫性を持たせたいから?
僕は……自我に執着し、変わりたくないとかたくなに怯える自分を、ただ認める。
そんなにも捨てたくない大切なものなのか、自我って?
そうかもしれないな。
でも、もう疲れた。
表層上の自分はいくらでも変わっていく。変わらざるを得ないから。
でも、根底にあるものは変わらない。それは変えようがなく、替えが利かない。
だから安心して変わればいいと思う。
拒み、しがみつくために使う筋力によって身動きは封じられる。
僕は自分の身動きを封じていたくはない。