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基本に立ち返ろう。行動原理の精査だ。
現状とそれに至るまでの意思決定のプロセスを振り返る。
●人間関係のしがらみから解放されたくて学校ボイコット 引きこもる
●通信校で高卒認定取る
・引きこもるのに飽きて変化が欲しかった
・引きこもり中に自罰と自責のループにはまって苦痛しかなかったが、一定の社会参画と帰属意識がその中和、あるいは助けになるという方針にすがりついた
●高校卒業したもののまた引きこもりに戻る
・進学も考えたが学生生活…社会参画と帰属意識を持つことはやはり、ダルい、しかもカネがかかる
・就活ももちろんダルい
・使えるカネが自分で得たものではないという理由から、カネを使うにしても常に罪悪感を刺激され続けるのもダルい→「自力でカネ稼げるようになりたい」
・自分の生活や行動に常時アレコレ口出しされる環境もダルい→「一人暮らししたい」→「どうせ引っ越すなら都会がいい。職種も多いし文化圏へのアクセス性も高い」
・自罰のループは若干マシになったがそれでも自責の念による行動制限範囲は広いまま…→「身動きの取れなさからも解放されたい」→「身動きの取れなさから自分を解放することをなによりも優先しよう」
・与えられる側で居続けること…親、他者の経済力に頼って生きること、スネをかじり続けることが自責の念の根幹にあるのだから、与える側、役立つ側であればいい→「自責の念を中和するためにもう一度社会参画による帰属意識の強化に頼ろう。そのためにはいきなり就職を志すよりも進学して社会経験積んでからのほうがいいだろう。せっかくならしっかりと学力や知識を身につけたい」
●上京して一人暮らししながら予備校通い
・毎日8時間以上の詰め込み型勉強、無能を罪とする能力評価の俎上に載り続けること、人間関係のしがらみetcにヤラれる。自責の念は中和どころか悪化。なにも手につかなくなる。
●予備校やめて進学も頓挫 引きこもりに戻る
・やめたあとのことは特に考えず自責の念とともにカウンセリングなど受けながら悶々と引きこもり続けていたら、これ以上生活資金の提供はできないから実家に戻れと諭される(当たり前)
・実家に戻るのは嫌だ
●バイトしながら最小限生活資金を自力で稼ぐことで一応の自立。都内一人暮らし継続中
・いまここ
人間関係のしがらみから解放されたい
アレコレ口出しされたくないから一人で居たい
ていうのが根底にあるな
一人暮らし まじで天国 なんの不満もない このまま一生引きこもっていたい でもカネの問題は解決されてない カネを稼ぐのにしんどい思いをし続けるしかないのか
あと自責の念を中和する試み
役に立てるような人間になれればマシになるかと思ったけど、役に立たねばならないという強迫観念にかられて余計ひどいことになってたんすよね。役に立たないなら意味がない→社会不適合→死 みたいな。しかもちょっとは役に立ったっていうレベルでは自分の中に納得感が生まれず、こんなのは役に立った内に入らない誰にでもできるとか言って勝手にハードルをあげているからこの調子だと一生強迫観念にかられ続ける。なにやってんだかな。
>「身動きの取れなさから自分を解放することをなによりも優先しよう」
そしてこれ。これ重要。今もこれがなにを置いても最優先事項だよ。
労働の中でまた強迫観念が悪化してきて、予備校のときみたく最悪の状態まで放置せずに、すぐストップかけられたのもこの方針が生きてたから。
とはいえそもそも、マジでそんなにしんどいんだったらこの生活を維持し続ける意味わからんな。おかんが(今はまだ)共生を支援してくれるっていうんだからパラサイト生活のほうがマシなのでは?
つってまたズルズルと行動を避けて避けて、ヒキニートに戻るだけじゃん。働くにしたって地元の職種の少なさやべーぞ、事務職or介護の二択。今の超ラクな仕事でこのありさまなのに、キツさしかないとかよう続かんぜ。
やはり選べる職種の選択肢を増やすためにパラサイトしつつ進学に方針変えるか?資金提供が望めるなら。
進学は嫌だ。能力査定を前提にした詰め込み型勉強は苦痛でしかない。あとどの場面であろうと「人間関係」を「しがらみ」としか感じない、強迫観念を生み出すもとくらいにしか思ってない状態なら、どこに行ったって地獄でしかない。
でも今のままじゃどっちにしろ選択肢の少ない中からしか仕事を選べない。しんどいor超しんどいだったら超じゃないほうを選ぶほうがマシだ。
そんなカレー味のうんこかうんこ味のカレーか選ぶみたいな……
でもそういうことじゃん
どっちも選びたくないな。よし死ぬか。
またはじまったよ…………
進学か。進学ね。K氏がK氏の恩師と予備校を紹介してくれたときも、やばいここも能力査定を前提にする組織だ絶対同じことの繰り返しになると肌で直感した。頼ればいい、話せばいい、とは言ってくれたものの、僕みたいな怠惰で無能で反社会的な思想の人間は結局のところ、己の嫌悪をこらえて最低限社会に合わせて行動矯正するしか経済的利益を受けられないという前提条件にめまいがしてしまった。嫌悪の抑圧と行動矯正、それすなわち自責の念と強迫観念の入り口。
とりあえず6月までは都内に楽しみと用事が複数あるので、しばらくはこの生活続けるつもりではいるけど。いつまで保つやらって感じやな。