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職場の飲み会、というか会食に参加した。
本当は一回断ったんだけどせっかくの機会だしこういう場に顔を出すのも勉強だと思って、みたいな押せ押せに負けて折れた。意志弱っ。
飲みの席は初めてじゃない。進学考えてた時期行ってた予備校が、新歓とか会社入ってからとかこういうのあるから予行練習で、つって開いてたやつに何回か参加したことがある。だからだいたいどんな感じになるのか想像がついていた。
だから断ったのに。
苦手すぎて。
苦手っていうか、所在がねえ。所在ねえっす。在るべき所がねえな~。
楽しまねばならない、みたいな空気。盛り上がらなければならない、笑い声を絶やすべきでない、派手に飲み食いしなければならない……。
空気!
僕どんくささが半端なかったな。なんにでも慌てふためきすぎ。恐縮しすぎ。かしこまりすぎ。力みすぎ。
あちこちで別々の会話、別々の作業が進行していて、僕はそのどれにも加わるタイミングを見失っている。作業進行中のグループに顔を出してなにかやれることを、と探すが行動が遅く手が足りている。じゃあ別のグループを、と覗くも特に必要とされていない。周囲はすでに各々のやることを見つけるか作るかしている。要領がいい。自分の居場所を確保するのがうまい。僕は……。
要領のいい人には予測がついている。次になにが起こるか、なにが不足するか、なにを足せば場が円滑に動くかの把握、その予測。僕はその予測を立てるのが遅いか、余裕がない。どんくせえ。
でも、なぜ僕は自分が余裕なく、トロいのかをわかっている。
それは、そのように振る舞おうという気構えになってしまっているからだ。自分を緊張に仕向けている。
別になにも緊張する必要はないのに。
怒られの発生を恐れてるんですか。
いや…なんか、堂々と振る舞いすぎて態度でけえなみたいに思われるのが嫌っていうのはあった。
ええやんけ、でかい態度。ていうか、僕はもうちょっと力抜くくらいでちょうどいいんじゃないのか、まじで。
萎縮のしすぎは周囲を不安がらせる。無駄に気遣わせる。気を遣われる側より気を遣う側に回るべきなんだ、それもわかってる………。
所在無~。
さっさと帰りたかったのに、結局もう遅いし先に帰って大丈夫だよとか促されるまで自分から切り出せなかった。意志が……………弱すぎる……………これをやめたい。これをやめたい。やめたいやめたい。自分の意志と自分の決定を自分の言葉で相手に伝えるのをやりたい。なんで黙り込んでしまうんだ、なんで借りてきた猫のようになってしまうんだ、なんで気を遣わせてしまうんだよ。
なんでってそりゃ……………人の顔色伺い続けた癖の賜物じゃないすか?双方向的な自己主張と意思決定の場、不和と衝突、コミュニケーションを避け続けた結果れすよ。
そうれすね。
実際そうだ。自己主張に対する抵抗意識が根強くある。ていうか、これ書くのもその抵抗意識への抵抗の一形態なんだけど。だいたいから、そこに存在しているだけでそれは自己主張のひとつの形なんだから、あとは程度と段階の問題やんけ、とは思うんだけど。ていうか、なんか、自分個人の欲求よりも自分以外が望んでいる要望を優先して叶えなければならない、みたいな思い込みがある。いや、本当に要望を叶えれられるわけじゃないけど、なぜって周囲の状況を把握するのが笑えるくらいうまくいかんので、基本力不足で。とはいえそういう、自分を殺してでも人の期待に沿うように、っていう自己犠牲的な命令系統が思考回路の中に組み込まれていて、それがオートで動いている。それがすげえ嫌。めちゃくちゃ苦しい。それっていうのは、葛藤が生じるから苦しいんだろうな。個人的な欲求を優先してそっちに極振りすれば、じゃあ他者の期待をないがしろにすることを覚悟の上でそうするわけだし。逆に他者の期待に沿うことに意識を極振りすれば、個人的な欲求は犠牲にしようという腹が決まる。そうじゃなく、自分の欲求も大事にしたいけど、他者の期待を裏切りたくはないし…、みたいな中途半端な気持ちでいるから苦しむんだろう。僕っていう人間は実際、なにもかも半端なんだよ!え、「なにもかも」?全か無か・過剰な一般化・結論の飛躍・拡大解釈・感情的決めつけ・レッテル貼り、はい認知の歪み。
いや、どっちみち他者の欲望に忠実に生きるなんて、正気の沙汰じゃないだろ、そんなのは。僕は、それは嫌なんだよ。そこにある自分の欲求、自分の感覚、自分の意志を放棄したくないんだよ。
でも……完全に他者の要望を無視するっていうのもナシでしょ。
はい…。
どうして僕はこう……………。
僕と年の近い同期の社員が、手際よく不足を補うなどの手伝いをし、慣れた所作でにこやかに会食に加わり、今夜は用事があるので早めにお先に、と颯爽と帰っていったのを見て、まじでうらやましいと思った。うらやましいっていうか、すげえ、っていう。なんという見事な立ち振舞。すげえ…なにそれ……。経験?
高等技術!
その場にいない職員の話題。主にその能力の如何。「(ルーティンのある現場に変化を加えて、その職員が変化に気づくかどうかという話題)」「(気づかなさそうという笑い)」「(僕の取り組んでいる合否の問われる仕事の課題にその職員が追い抜かれそうであるということの話題)」「(半笑いで)それパワハラだぞ」「(その職員の人の高学歴)が泣いてるねえ」「俺は(高学歴)だけど」
……。
…………。
常時苦笑しかできなかった。いやなんてコメントすればいいんだよ。能力の評価ってなんのためにするの。能力はただ能力じゃないか。上も下もない。できる・できないは、ただできる・できないでしかない。それは単なる状態だ。それをできるから上だとかできないから下だみたいな競争主義な考え方に持っていくのはなんか……嫌だ。それは自分がそういう上下関係的な見方で対人関係をはかるのが嫌だからだ。僕は誰の上にも立ちたくないし、誰の下にも立ちたくない。え、そのわりに下に下に出るじゃん。はいそうですね。
なんかなにかを下に見る自分を、いまだに受け入れられないのが笑える。実際見下し的な心理を働かせているときにも、これは見下しじゃなくこういう感情の働きで、みたいな自己弁護が入る。今回の、この特定の個人を小馬鹿にするような会話も、その会話自体を見下してるわけでしょ、実際僕は。うわっ下品な会話、みたいなさ。ああ、うん、はい。で、そういう自分の見下しの感情を否定しようとするから、ややこしくなんだよな。認めりゃいいんだ認めりゃ。
でも、やっぱり、自分を含め、誰もなにもおとしめたくない。これは見下しじゃなく、僕自身はそういうのは嫌だと思うという抗議、抵抗の反応であって、下に見て笑う、みたいな心理とはずれたところにあると思う。
いいや?まず最初に見下したはずだ。なんでそんな次元の話をしてんだ、なにが楽しくて、なんの得があって、なんの目的で?それを楽しいと思えるのか、そういう感性なんだな?そう思った。
それは疑問だ。嘲笑じゃない。
いいや、嘲笑のニュアンスも含まれていたね。
そうかもしれない。
そうだよ。
僕は潔癖だ。
そうだね。
そうだよ。
ただまあ、あの会話を冗談で言える空気というか前提、が共有、許容されてる事実が、キツい。つーか、黙って見てた僕もそれを許容したうちに入るんだろう。ははは。あはは。ひひひ。いひひひ。
意気地がないのんな。
僕、基本的に自分にしか興味ないんすよね。自分がなにを好きでなにを嫌いと感じるかにしか。だから常識とかないですよ。僕に常識とか期待しないでくださいよ。世間の情報、世の中の仕組み、知らなさすぎる、ていうか全然重要に感じられない。人々と同じ前提知識を共有することが重要と思えないということは、人々を重要視していないことと同義で、だから……。ひどく冷たい人間だと思う。なんか積極的に興味を持つ、そのキャパシティがない。興味を持つ余裕のなさは人間性の薄さに直結してるな?
人間性の濃さは興味を持つ余裕の有無か?
そうじゃないすか?好奇心でしょ、未知への情欲。
僕の場合その対象が自分の精神に向かっているだけなんです。
自分大好きナルシスト。
はいその通り。
ナルシストって罵倒になるのすごくないすか。誰だって我が身は可愛いしょ。
程度だよ!あきらかに過剰に自分に執着しすぎだろ!なんでそこまで他者に、世界に、拒絶的でいられるんだ、なんで興味持てずにいられるんだよ!
そうだよ。
なんでだろうな。
世界への無関心がすごい。
もっと他者と世界に関心を持てってさ。
え、はい。どうやって?
まず自分の感情を否定しがちである、それに自覚的になれ、そして潔癖を上塗りしろ、潔癖を汚泥で洗え、自分が"キレイ"じゃないってことを思い知るんだな、お話はそれからだ。
説教臭。
もっと自分が汚いと感じるような部分をよく見ろという話か。
そう、そこから目を逸らしたり否認しようとする癖はある。
否認。否認とは違うよ。Aという事象が起きた。それは嫌なことだ。Bであればいいのに現実はBではない。じゃあCという方法を取ればいいんじゃないか、だからAにはCという態度で挑むぞ、みたいに考える癖はある。それが否認的と言われればそれまでだが。
なんか、違和感あんだよな。Aという事象が起きた、それはいい。Aは嫌なことだ。それもわかる。Bであればいいのに現実はBじゃない、ここらへんからなんか様子がおかしいんだ。BであるためにCという態度を取ろう、これ、これはAをBにすげ替えてるじゃないですか。実際のAを無視して、AよBであれという願いのみでCという態度をとってる。だから実際の現象Aを置いていきがちなんじゃないですか。自分はAは嫌だ、Bがいい、だからCを選ぶ、っていう、Aを前提にした話の持って行き方ならわかる。でも、BであってほしいからAをBだと思うことにしてCを選ぶ、ってBを前提にしてるのがおかしい。
もういいもういい。
トリップしてきてなに書いてんのかわかんなくなってきた。
僕は自己欺瞞を憎むという話だ。
代入しよう。
A=過労死(過酷な労働環境), B=融通の利く労働環境, C=自分は自分の負荷を自分で管理する
A=競争社会, B=上下優劣のない社会, C=自分は他者との関係を優劣評価ではなく差分比較で見る
Bが現状ほとんど実在しないということがわかります。
自分の中にだけは実在してるけど、自分の外ではどうだか知らない。
Cという態度をとるのはどうぞそのようにという感じだが、あたかもAをBであるかのように扱う、Aという現状を無視するってのはいけすかねえよな。あくまでAという現状を認識したうえでやれよ。
うん。
語気が荒くて口調が強いのが若干腹立つ。
あれの名残っす。自責の声との口論。反論するには罵るしかなかった時期があったから癖が残ってる。
あんまりいい戦法じゃないと思うけど。もうこの戦法は使わなくていいと体が理解する日がいつか来るんだろうか。
でもいざというときに使えるよ。
いざというとき?
いつでも牙を剥ける。
そうですか。