頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

ねむーい。

今日も掃除。ひたすら掃除。人としゃべんなくていいからラクでいい。でも体を絶えず動かしてるから疲れる。眠い。日中もぼーっとするしふらふらするし、眠気がひどい。昨日は夜帰ってきてすぐ寝たけど結局5時間くらいしか寝れなかった。睡眠時間を確保するのが下手だ。

 

昨日の喫茶店での会話。謎に恋愛談義が多かった。エンジョイしてるなぁと思った。付き合うとか、結婚とか、そういう儀式を前提にした関係を誰かと築きたいという欲求がない。僕は恋愛感情と親愛の気持ちの区別がつけられない。いや、ついてはいる。でもはっきり分かれてるわけじゃない。グラデーションだ。もっと親しくなれたら楽しいだろうな、という思いが根底にあって、その強弱があるだけで。で、その「親しく」の範疇にデートとかセックスとか恋人らしいやり取りとかは入っていない。人間としての在り様を今以上に知りたいと思うだけ、それが知れたらそれ以上なにもいらない。というか、それ以外のものは余計なノイズだと感じる。だから別に親しくなれなくても問題ない。ただ見て、知れるだけで足りてるから。きっと、相手と自分を規定の関係へ収束して求めるのは所有欲なんだろう。相手を自分の所有物としたいんじゃないか? 僕はなにも欲しくない。

 

おい。なんかだめだ。なんか違う。違うぞ。僕はもっとクソみたいな人間性を露呈させたいんだ。なぜなら、それを抑圧することでどんどん自分を狭め、自分を殺し、自分を裁き、自分を見えなくしてきたからだ。矛盾とか、倫理観とか、善悪とかを放り出して、クソな人間性を書き連ねる、それが僕の望みだ!それだけが!今、この瞬間、成し遂げたいことのすべてだ。一秒ごとに、死を迎える。次の一瞬には死んでいるという気持ちで生きている。悔いのないようやる。それが欲求のすべてで、今悔いを感じたんだ!クソな自分を殺そうと、隠そうと、繕おうとする作為を!嫌だ。抵抗するぞ。

僕はな、ムカついてるんだよ。怒ってるんだよ!お前らどこ見て喋ってんだよ。だいたいな、なにが所有だよ。ムカつくんだよ。人間を所有するとかいう発想に、虫酸が走るんだよ。フォーマットに当てはめて、型に沿って他人を、自分自身を!扱おうとするその姿勢が嫌いなんだよ。

いやいや待ってくださいよ。そうするのが自然で、そうすることによって幸福感を得られる、そういう体質の人々だっているわけじゃないですか。体質に文句言ってもしょうがないでしょ。

うるせえな。ムカつくもんはムカつくんだよ。さもそれが自然で、標準的で、それ以外の考え方は幼稚だとか、淡白だとか、気の毒がったりだとか、できるようになれたらいいのにねだとか!そういう目で見てくるその比較、その所作、自分の傲慢に気づけよ。ふざけんな。僕は求めてないし、望んでないんだよ。押し付けを自覚しろ。僕はそれを必要としていない、余計なんだよ。

また怒ってる…。

こいついつも怒ってんな。

で、自分は誰にもなにも押し付けてないとでも言いたいのか?

言ってねえよ。

ていうかそれ被害妄想だよ。そういう目で見られることって被害でもなんでもないじゃん。単なる、ある主観から見たある事実に対する感想とか反応とか感慨みたいなもんだよ。事実を認識するとき、そこにその主観特有の前提、こうあるのが自然っていう条件が各々加わってて、じゃあこの主観の前提からみたらその事実はなんかズレて感じるね、っていう話じゃん?

その前提条件が各々主観ごとに違っているという部分を無視してくるやつがムカつくんだよな。

無視されたん?

いや想像っす。

えっこわ。想像で怒ってる。

そうだよ。だから「被害」「妄想」なんでしょ。

ていうかノリでキレてみたけど、別に怒ること以外でも表現できた気はする。こう、ガッと勢いつけて喋りたいことを一切の配慮、一切の抵抗感振り切って表現するのに、怒るっていうのは便利な道具であるわけなんです。僕は配慮や抵抗感によって自分を「躾け」慣れているので。手っ取り早く「躾け」から抜け出すのにとても使える。けど、怒るっていうポーズを取ることによって、表現しようと思っている、考えたり感じたりしている源流を言葉に置き換えるにあたって、取りこぼしていく部分もあり。その取りこぼしが非常に気になるし、もったいなく感じる。だからできるならもっと丁寧に拾っていきたいんだけど。もっとつぶさに。もっと解像度を上げて。観察、そして表現だ。

恋愛に対する怯えを感じる。人と親密な関係になることへの怯えと関係している。なんだろう? 僕は人から恋人関係になることを要求されるのを非常に忌み、恐れている。なぜ? セックスが怖い。人に体を触られるのも嫌だし子供を作るのも嫌だ、やりたくない。期待されるのが嫌だ。親密になるっていうのは、互いの人間性を知っていくという、あくまでも対等な関係、自然な経過の中で関係性が変わっていって、結果的に親密になる、それならわかるし、それは楽しいことだと思う。でも、最初から親密さを期待されたり、そうであってほしい型、そうでなければならない型、みたいな型を見本に、互いの関係性の理想像を想像して、理想に沿うよう行動を変えていくっていうのが、嫌だ。理想に付き合わされるのが嫌だ。理想を期待されるのが嫌なんであって、恋愛に限らないかもしれない。社会適応、それもまさに、他人に期待、理想像に沿うことを求められる活動で。

それで……。それで?

それがすべてだよ。僕は誰かに自分の期待や理想を押し付けたくないと思っているし、押し付けられたくないとも思っているんだ。それだけなんだ。