頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

また身動き取れなくなってるんだよなぁ。

このブログ開設した頃はヒキニート脱さないとっていう強迫観念で神経が麻痺していた、今は今のバイト先から脱したいけど今以上に条件のいいところに雇ってもらえるとは思えないから辞められないでも辞めてえーていう意識で自我がパンパンになっている。辞めたところでその先どうやっておかねあつめればいいのかわかんない。とにかく人間と関わるしかない、金は人と人の間でやり取りされるんだから当たり前ですけど、なんかその事実に打ちのめされる。

生活の維持に関する不快感と葛藤は一生ついてまわるんだろうなと思った。思ってる。思いながら生活を維持している。こんなもん維持してなんになんの。ばっかじゃねーの。ばーかばーか。死ね!死にたい。死ぬか?首吊りおすすめらしいよ。自殺の手段として首吊りがメジャーなのは、他のどの方法に比べてもほとんど苦痛がなく一瞬で意識を失い、未遂率も低いすなわち成功率が高いしそのうえ損傷が最小限だから死体も比較的きれい、遺体の処理以外で他者に直接的な被害が少なくて済むエトセトラ…とかいう理由でめちゃくちゃ自殺向きな手法だかららしい。知りませんでした。これは図書館で借りた手垢まみれの、例の完全ナンタラマニュアルから得たお得な情報なんですけど…。ていうか今更初めて読んだ。ジャンル、倫理・自己啓発系かと思ってたけど雑学・生活の知恵だった。

僕が死ぬとしたら一番可能性あるのは餓死だろう、だいたい首吊るとか面倒くさすぎるでしょ、完全に面倒くさがりなので自殺するのも面倒くさくて実行できない、ほっといてもいずれ死ぬんだから別に積極的にがんばって殺害しなくてもいいやとか思ってしまう。それだったらゆっくり死に近づく毒系のが向いているのでは。ヤニアルコール各種依存症は緩慢な自殺と呼ばれるほどですし、てか今まさに精神的には緩やかに死んでいるが。飛び降り系の、衝動に任せてってのもなくはないが、極度な臆病だし痛いのはキライだから怖気づいて思いとどまるだろう。電車の飛び込みは鉄道会社から損害賠償で遺族に億の請求いくっていうのにうけた。そりゃそうか。それにしてもちゃんと死にたい人はいろいろ試すために体力費やしたりモチベーションを実行力に変換できていたりしており、すごい。自殺のためのモチベーションって主に生きることに対する苦しみの感度なんすけど…。苦しみのもとを絶つっていうエネルギーがどこに向かうか、その差でしかなくて、まあみんな苦しいのは同じ、みんな等しく苦しいって?知ってる知ってる。だからもうみんなの話はしなくていいよ。しなくていいっつってんだろ。二言目にはみんなみんなだな、みんなって誰だよ、なぜあんたがみんなを代表する、みんながあんたに意志を託し、代弁を依頼したのか?みんなの内訳は?ひとりひとり正確に聞いて回ったのか?そうじゃないなら、なぜ自分と同じ考え方でみんなの思想が統一されていると思い込めたんだ?その考え方がひとりひとりに対する冒涜だとは思わないのか?思い出し怒りやめろ。やめにゃい!

なんかこういう、誰が一番苦しいかみたいな話になってくると、自分の苦痛とか自分以外の人間にはめちゃくちゃしょうもないものにしか見えんのは確かだしな、とか客観視して、冷める。というか、実際めちゃくちゃしょうもないし。考えれば考えるほど、マジでしょうもない。笑えるほど取るに足らない。この程度で苦しいとか恥ずかしいよ、舐めんなって感じですわ。そうは言っても、実際に感じている苦痛がやわらぐわけでもなく、激痛は相変わらず激痛でしかないので、個体差や時代や環境を比べて、たいしたことなどないと自分の苦しみを見下げてみたところで、劣等感が刺激されて、より卑屈になる、それ以上の変化は生まれない。比べるだけ悪循環だし、だいたい比べられるようなものでもないんだから、比べてもどうしようもない。人には人の地獄があるって女子アナが言ってたってインターネットで読んだ。でもやっぱり本気でしょうもないことで激痛を感じてると思う。どうにかならんのか。

僕の場合、苦しいのが生涯通して漫然と続くのはそうだけど、真綿でじわじわ系の苦しみだから、浸かってる水が熱湯になってると気づかないで茹で上がるカエルみたいに、気づいて手遅れになったときはじめて死ぬんじゃないかと思う、グラデーションになってるから耐えられてるだけで、冷水から沸騰したお湯にって唐突に急激な変化をくらったら、まぢむりってなるのかもしんないけど。実際、僕は本能的に「急激な変化」を避けて動いてると思うし。それが身動きの取れなさの一因でもある。つーかこれが最大の原因。変化を恐れる。変化を嫌うから、死ねないし、死ねないということは、生きられていない。生きるためには死なないといけない。だってそれはセットになってるから。なんの話だ。またなんか言いはじめた。

生活苦じゃないんすよ。金がなくてつらいとか、ほしいものが得られないからとかそういう話じゃなくて…。なに?なんだろう。疎外感?人の間でうまくやっていけてると思えたことがない。性格が最悪だから。逆か。自分の性格を最悪だとみなしてしまうような思考回路だから。自分を軽蔑するとき、同時に自分以外も軽蔑している。なにもかもどうでもいい。すいません。なにもかもがうっすらと嫌いです。漠然とした軽蔑。どうでもいい。どうせ死ぬのに一生懸命になることがそれなのかよ、みたいな。嘘でしょ。わぁ。そんなこと考えてたらそりゃ苦しいさ。思春期で終わらせとけって感じの思考回路。世の人はどうやって思春期を乗り越えている?既存の価値観の笠を上手に着るのさ!テクニックだよ…。それを信仰と呼んでもいい。疑問を持たず信心深いほど物事はシンプルに扱いやすくなる。僕、明らかそっちのほうが向いてる、無思考に黙々と透明な命令に身を任せる。考えるの下手な癖に無駄に猜疑心強いせいで、勝手にややこしくしてるだけだ。

どうせ死ぬのに夢中になってやるのがそれ?って疑問、何様だよって感じだな。なに?なにか積み重ねてきたものがあるほど尊い、みたいな考え方すか?一生懸命に打ち込めるものが人生の中に一柱の指針として存在してることこそ尊いっていう。ああ……それが「人の役に立つ」ものであれば「より善い」、とかね…。で、なんの積み重ねもないし、打ち込んでるものもない、芯のない人間のことは…「役に立たない」し「悪」で、価値が浅いって見下す?そう!だから自分を軽蔑するんだな!そうやって卑下するし、卑屈になる!僕は自分の卑屈さが大嫌いだ…それは軽蔑や見下しからの感情じゃなく、自分を貶めるものだから避けたいという衝動からそう感じる。価値。人生の価値?いやいや!どうせ死ぬんだからなにに一生懸命になってもおんなじなんじゃないすか。で、なにに一生懸命にならなくても同じ。平等に無価値だよ!人生は。本質的に無価値だし無意味なんだよ!そもそもが。間違いなく人生は無意味で無価値だよ。そして、無意味で無価値だからといって、それが「悪」ってことにはならない。同じように、有意味で価値が高いと定義された人生を「善」とも呼べない。人生を善悪で振り分けなくていい。違う?じゃあ、なんで人生を善悪で振り分けるの?善悪ってなんだ?意味、価値、役に立つ人生、その定義とは?いまだにこういうこと考えて悶々として生活と人間関係を棒に振っているので完全にアホ。結局、人生、物事に意味を見出すのは、個々人の解釈にとどまるし、解釈はどこまでいっても解釈でしかない。ユミルも言ってたよ!世界は無意味で、無意味だから素晴らしいって……進撃の巨人おもしろいよね。急に?

だから、意味とか価値とかないっすよ。そうじゃなくて、むしろ中途半端に人生に意味とか価値を見出そうとするから軽蔑するんでしょ、自分や他人の人生を…。それで、僕は、まったく矛盾してるんだけど、意味や価値を見出さないことにこそ、価値を重く置いている。だから、ある物事を取り上げて、それに高い価値があって有意味で役に立つと称されるのを見るほどに、バカバカしく感じる、そういうことっぽい。でも…無意味さに価値を置くこともまた、無意味だし無価値なんで…。心から無意味さに価値を置いているなら、有意味と称される無意味な物事に対しても、価値を置いていないと、筋が通らない。そこをわきまえてないから、漠然とした軽蔑とかいうヌルい感覚が出力されるんじゃないの。そういうことなのか。そうかな。そうかも…。話が難しくて頭が混乱してきた。なに言ってるか半分くらい理解しないで手が勝手に喋っている。自分の言ってることを自分で理解するのにすごいラグが発生することあるんだけどこれってなにですか?ランナーズハイならぬライターズハイ的な…それも違うか。

喋り疲れた。

 

 

ところで、自分を殺すマニュアルの序文にある、エンジェルダストという節がとてもいい。とてもいいので、よく思い返して噛み締めてる。こういうの。

『僕の知人に、それを飲んだら平気でビルから飛び降りちゃうほど頭のなかがメチャメチャになっちゃう“エンジェル・ダスト”っていう強烈なドラッグを、金属の小さなカプセルに入れてネックレスにして肌身離さず持ち歩いている人がいる。「イザとなったらこれ飲んで死んじゃえばいいんだから」って言って、定職になんか就かないでブラブラ気楽に暮らしている。この本がその金属のカプセルみたいなものになればいい。』

僕は頭の中にこのカプセルを帯びていて、それは架空の感触をともなって、いつでもかめるように奥歯に挟んであったり、舌で転がして遊んだり、今みたいにしげしげ手にとって眺めたりしていて、それが唯一、自分に主導権を感じる瞬間だと思う。