頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

恍惚と快感を得ようと思ったら、慣れと惰性の中では少量の吸収率でしか得られない

僕は多量の吸収率で恍惚を得たい

そのために準備をする

あえて期待の状態を作る

期待は裏切られて、恍惚は得られないかもしれない

でもその場合、予想外の衝撃という別の刺激が得られる

刺激は娯楽で、娯楽は快楽

 

鈍感さやマンネリのなにが自分にとって不利益なのか

退屈だから?

すげえ体調悪い。

昨日はいつも通り出かけていって働いて帰ってきたらいつもの倍くらい体が重くてだるくて、一瞬横になって気絶して起きたら全身発熱して脈という脈がドクドクして暑いし寒いし。無視して寝直したらおさまった。ネルノダイスキ。

今日は鼻炎がひどくてくしゃみと鼻水に苦しんで、帰って風呂ってたら鼻血出て、全然止まらなくて20分は出血し続けてた。鼻先から濃く赤く濁ったしずくがお湯に向かって落下して、ミルククラウンを描いて水中に没し、血煙が広がっていく様子をう、美し~とか思いながらぼんやり眺めていた。

なんだかほがらかでいい気分。

朦朧

寒い
体が動かない
理性よ
私を救いたまえ
理性的になると
一瞬だが、その間だけ
痛みが引く
寒さも消える
理性には、人間らしさがないからである

感情が落ち着いてくれるよう
私はスープを飲んでやった
感情が取り乱さないよう
私が幸せにしてやらねばならない
急に手に入れた力というものは
メモしなければ失われるのです

(ミッションちゃんの大冒険)

 

 

夜中に目が覚めると、蛍光灯が天井から落ちていた。何処から入って来たのか知らないが、黒猫が部屋中を駆け回り、窓から飛び降りる。また自分の知らない時に面倒な事が起こった。僕はそう思った。

九つの珈琲を九匹のブタが運んできた。彼らは僕を囲んで散々罵った。コーヒー、タバコ、節操のない食事、痛みきった臓物の香り……悲惨な口臭、そして口臭消し。人間臭い!!彼らの一人が絶叫した。僕は悲しかった。

シルクハットにフロックコート姿の髭を生やした中年男性、えび茶色の袴を着た女学生、同じく袴姿に学生帽を被りカラコロと下駄を鳴らして歩く書生、ハイカラな白いドレスを身にまとったどこかの貴婦人。街は明治時代のようだった。隣には幼いカート・コバーンがいた。ここは何処なのだろうか?一体何処へ向かえばいいのだろうか?彼の埃臭いネルシャツを眺めながら、僕は思った。

公園外れの森林。足元には雑草やら落ち葉、枯れ枝などがぎっしりと積もっており、そこへ木漏れ日がさらに複雑な模様を加えている。隣にいた何者かが、綺麗なものと美しいものの違いを尋ねてきた。僕はふとその場にしゃがみこんで、地面に生えている雑草を引っこ抜いた。そしてその土まみれの根っこを指して、これが美しいものだ、と確信をもって答えた。理由は僕にもわからない。彼は満足したのだろうか?

電気屋で馬に関する質問をされた。それも言葉ではなく、感覚的で形而上のものだった。その問いかけにうまく答えると、電気屋に道場の加入を促された。最初からそれが目的だったのだ。申し出を断ると、相手の態度がまっさかさまに急変した。僕は呆れて店を出たが、終日不愉快な気分だった。

友人に連れられて向かった先は、スターリンという豚料理屋だった。友人は豚しゃぶを勝手に頼み、席を立つ。どういうつもりか尋ねると、彼はここの店の店員で、どうやら自分は彼の客引きのノルマに手伝わされたらしい。一人で食べる鍋料理は、ここまで不味いものかと僕は驚いた。

敗北者?違うね。あんたは戦うのをやめたただの野良犬。同じ土俵に立ったと思っているのか……?虚勢で彩られた顔面を鏡で見てみろよ。恐ろしく醜いぞ、間抜けだし。そしてこいつは自分の恐怖と孤独を自分の肥やしにしてまた虚栄とナルシズム。いい加減疲れないのかな?
(疲れたって、あんたたちが……)
これだ コレ!
 これだ
これだよ
 またこれだ
実のところは何にも知らないんだ。お前だって何を知ってるんだ?何をどれだけどのように知ったら、何を知った事になって、結局お前は何が知りたいんだ?そんなの誰に分かる?みんな、何とか必死に伝えようとしてるんだよ。もうなにがなんであるかなんてそんな事は誰にも分からない。僕やお前が何をするために生まれてきたのか、お前には説明できるのか?みんなが一緒くたになって襲ってくるから、僕には戦うものが多すぎて、そして、こんな事を言われても結局混乱するだけで、漠然としたイライラがみえたら、それが漠然だったんだよ!!何処にも何も存在しないし、誰にも何にも分かりはしないんだ、お前だって、何を知ってるんだよ!
くっだらない幼児の言葉遊びと何にも変わらないじゃないか
ああ、もういっそ……世界なんて転覆すりゃいいんだ……

(夜明けの口笛吹き)

 

 

もう六年くらいネット上でヲチしてるひとがいて、
古風な文学青年、というかそろそろ40超えてるのだが、とある明治の文豪をひたすら崇拝し、自らをその後継者と信じ、陳腐としかいいようのない文学論を書き続け、現代の小説を憎むこと甚だしく、というか実のところ戦後の小説はおそらく彼にはほとんど理解不能のようなのだが、ともかく現代社会と文化の堕落を嘆きつつ、でもテレビは大好きで、倉庫のバイトで日々の生活費を稼ぎ、たまに風邪をひくと嗚呼自分も啄木のように肺病で死ぬかもしれん、と布団の中で一人悲愴感をつのらせ、たまに女性から優しい言葉をかけられると彼女は自分と結婚したがっているのだと思い込み、とまあこう書くとかわいらしいのだけど、彼が掲示板やblogに書き続ける妙に意気軒高な文章を読んでいるとまず苦笑が、次いで嫌悪感と恐怖がじんわりとこみあげてきて、というのも彼はおそらく思春期の頃に設定した小さな輪の上をもう数十年ぐるぐると廻り続けていて、その徹底した他者の欠如と無知は動かしがたく、今後よほどの事がない限りその輪の中で彼は老いていくのだろうと考えざるをえないが、それをずっと観察し続けている自分の後ろにも、おそらく同じような陥穽がぽっかりと口を開けているに違いないと思うと、悲鳴をあげたくなるほど、恐ろしい。

(https://anond.hatelabo.jp/20070304171404)

不登校ユーチューバー。

登校拒否りはじめた時期同じくらいだし、考え方も似てるし、全然平常心で見てられないんだけど。

やりたくないをことやるのも人からなにか強制されるのも嫌だし、嫌なことは避けたい。

僕、未だにこの人とほとんど同じ行動原理で動いてるから、全然中身変わってなくて笑っちゃうよ。

「人間的成長がない」ですね?

そうだね。

俗に言う人間的成長って、対人関係の摩擦を経験しないと得られないものだと思う。

摩擦、衝突の結果、なにがベターな選択なのか妥協点の探り合いがあって、そうやってお互いを尊重し合うための作法が身につくんじゃないですか。

形式としての礼儀じゃない作法が。

まあ僕はその摩擦を避けたいがあまり、ほとんどの場面を「形式としての礼儀」だけぶん回してその場をしのいできたから、そりゃ当然成長もないわなっていう。

でも、最近はその摩擦や衝突に対する恐れよりも、尊重のための作法得られる方がよくねっていう方に舵切るようにはなってる。恐いのはずっと恐いけど。

でもまあ基本は嫌なことから逃げ続ける人生なんだよな。

あと、一個変わったな。

当時はこういう、不登校児だの引きこもりだのに向けられた説教の類とか否定的な言説、痛みや苦しみとしてしか受信・知覚できなかったけど、今はダメージあんま受けずに見れる。

まあ、あなたがたならそう言うでしょうね、と思う。

 

周囲の人間がロボットみたいに見えるか。

僕もまったく同じこと思ってたな。

この人も散々指摘されてたけど、じゃあ自分はロボットじゃないつもりなのかよっていう話で。

その軽蔑の目線、自分の首絞めてるよ。

誰しもがなにかの奴隷だよ。なんらかの命令、なんらかの指針に従って生きる。

学校の奴隷。会社の奴隷。国の奴隷。村の、親族の、制度の、思想の、感情の、肉体の、本能の、遺伝子の、自分自身の、奴隷。

ロボット、奴隷、不自由な者、への軽蔑の目線、結構あちこちで見かけるけどね、歌の中だの、広告の中だの。

俺は自由で、お前は不自由。不自由なお前はカワイソウ、俺は自由にやれてる、お前も自由になろう。

解放運動。

次はなにから解放される?

 

ところでこの人、宿題とか嫌なことしたくないのはわかるけど、どこを「嫌なこと」の最低ラインに据えてるんだろうな。

どこまでなら「嫌なこと」に耐えられる?

その「嫌なこと」、避けられなくて、耐えられなかったらどうなる?

僕は、当時そこまで考えてなかったな。

この人はどう考えてんだろうか。

僕はそんなに考えてないけど、未だに。

まじで行き当たりばったりすぎる。

嫌なことに耐えられなかったら?じゃあそのときは死ぬことになるだろうなぁ、っていう。

避けられるなら避けるためにあらゆる手を用いて全力を尽くすだけだし…今もそうやってる。まあこの戦略じゃそのうち死ぬわ。

そう、そのうち死ぬしっていう刷り込みが強すぎるからなんかね。

今すぐ死ぬなら、今すぐ好きなことやっといたほうが悔いなくていいしな、とか思って。

実際特に悔いはない。

物欲強いほうじゃないから、ほしいものが手に入らなくてもまあいいか、で済むし、最低限命あるだけですげ~と思えるし。

あとは他人の目が気にならなくなったら無敵なんだけど、と思う。

結構気にしちゃうんだよな、人間、この年齢になったらこういう実績解除してこういうランクの地位についてないとちょっとアレ、みたいなやつ。

アレだからなんだっつーんだよ。

アレであるという自覚を持ってアレとして生きていたいですね。 

 

人との関わり。

人間社会は人とのつながりで構成される。

つながりが薄いか濃いかの違いはあれど、基本その輪から脱することはできない。

完全に社会性を喪失できれば抜け出せるけど。

人類、原始の段階では力を合わせて生き残るっていう「協力」のための確固とした一つの共同目標があったかもしれんけど、安定して生き残れるようになって、共同の目標ふわふわになっちゃって、協力するための方針が今や支離滅裂で、じゃあそりゃ戦争も起きるよなっていう。

目下、いかに大きな戦争を起こさずに共存するかが課題って感じで。

戦いの規模が小さいうちに、なるべく血流さないで済む決着の付けかた覚えないとじゃないすか。

なんか人を死に追いやってる自覚なく人間を追い詰めてる人たちいっぱいおるけど。通例とか常識っていう思想のもとで。