頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

奉納6

地元でパラサイトニート状態だったとき、一刻も早く実家から離れないとあかんという強い危機感があったのは、食うに困ってなかったから。食うに困ってないから現状を変えるための逼迫感もなくて、それがおぞましかった。いや逼迫感あるにはあったけど、せいぜい引け目があって罪悪感がひどい止まりで、止まりとかいってめちゃくちゃ苦しんだけど、でも持てるすべてをなげうって生きようというラインにまでいかない。真綿、ぬるま湯。結局僕はその場しのぎの安寧を満たすことができれば自分の欲のために親を、他者を食い殺せる人間なんだ。それがよくわかった。だからこそ逆に危機感が強まった。危機感を持たない限り一生親に寄生し続けるという確信があった。自分はそういう人間だと学んだ。僕は殺すなら惰性でなんとなくみたいに殺すのは嫌だ。自分が殺したんだという自覚を持って殺したい。無自覚になんとなくで殺したくはない。僕は自分が生きているだけで顔も知らない誰か大勢の人間を殺し続けていることを自覚している。生きるのは殺すことだ。でも目の前の親のことを自分の欲のために殺すのは嫌だった。なんですぐ死ぬとか殺すとかいう話になってしまうのか。今に始まったことじゃないけど地に足つけて考えるのがへたすぎる。だって地に足つけて考えようと思ってないもん。脳直っす。

例えば食うに困ってなかったら、食うに困ってないその環境を保持し続けるだけで生きていけるわけだ。別に今ぜんぜん食うに困ってないけど。月に10万ももらってないけど、食料を買えないほど貧してない。貧してないどころかめちゃくちゃ豊かや。着るものも寝床もある。火を使って料理もできるしお湯張って風呂にも入れる。ゴミは集めて捨てれば知らないところで知らない人たちに処分してもらえる。糞尿を排泄したら水に流すだけで知らないところで知らない人たちに処分してもらえる。知らないところの知らない人たちが作って維持した施設の設備で部屋に灯りがつくし空調が調節できるし電波を通じて距離を問わず情報を得られる。誰かの作った食材、誰かの作った家具、誰かの作った日用品、誰かの思想誰かの言葉だ。なんとすべてが他力。なにひとつ自分の力で及ばない。集団の力。限りない贅沢。なぜこのような贅を尽くせるのかというと、長い時間をかけてそのようなシステムを構築してきた人々がいて、またシステムを維持する人々がいるからで、システムの恩恵を受け取るため人々に必要なぶんだけの対価を僕が支払ってるからで、さらに、僕が対価を支払えるのはシステムを維持したり構築したりする手伝いをしてシステムからお金を受け取っているからで、そのお金はシステムを利用する人々のふところから出されたもので……けいざいはすごいなぁとおもいました。わけわからん。

とにかくだ、現状だって相当贅沢で、僕には余りあるという感じがする。過剰だ。なにが必要なんですかねこれ以上。

物を買ったり金を払ったりするときひどく罪の意識を感じる。そこに働く他力。自分がものを受け取るまでに経ている流れ。それが不透明だから?なにか自分の加担したくないやり方で作り上げられてきたものに対価を払っているんじゃないかと想像して胸が悪くなる。そして実際に自分の加担したくないやり方で作り上げられているに違いないと思い込む。システムの構造そのものから離れたくなる。0か100しかねえのか。

経済市場において人間は役割になる。役割が売買されている。社会、大衆、消費者に求められている役割、ある機能があり、役割は機能のために提供される。提供できなければ人は人とはみなされない。義務を果たさず権利を要求することは認められない。義務とは役割を担うこと。より高級に、正確に、機能的であるようにという役割。与えられた課題を解決すること。義務を果たさないのは不名誉で不誠実で恩義に反する犯罪だ。あなたは権利を享受しているのだから権利分の義務を果たしてしかるべきだ。という脅しを始終受け取っている気分になる。暮らしていると。

権利。ある水準を満たす生活を得られる権利。生活を人質に取られて役割に従事させられている人を見るとそんなことしなくていいと言いたくなる。誰かに苦役を強いさせるなら贅沢など不要だと思う。生活を人質に取られて役割に従事している人間。母はその代名詞。システムが母に求める役割の要求量はひどく過剰だ。母は不満や恨みや疲労や重圧に苦しむ。苦しませたくない。でも母には選択権がない。曰く、生活を人質に取られているから。僕は人質の一部。僕は母が命と時間と魂を削って得た金で生かされた。ぞっとする。冗談じゃない。あなたが魂を売春して作った金でなど生かされたくない。お願いだから自分を大事にしろよ。幸せになってくれ。あなたがその苦しみを背負うと納得し決めていたとしても僕は自分が人質に取られるようなやり方であなたを苦しめるものを肯定することはできない、僕までそれに組み敷かれるわけにはいかない。僕は魂まで売らない。あなたにも、誰にも。システムは単なる機能だ。魂を明け渡す必要などない。自分の身は自分で守る。

 

生活。どんな状態を維持したいのか、どういう状態に落ち着けば不満を感じず満足を得られるのかに思いを馳せてみるが、現状に満足し切ることなんかないんだろうなということだけがわかる。常に不満はあって、でも生活が成り立っていないわけじゃない、というバランス。バランスの問題。

暮らしが成り立つ成り立たないの線引きを自分の中でどう引いているのかわからないな。これが最悪っていう生活レベルを考えてみても、そこから抜け出そうとする自分を想像するのが難しい。実際、それで何年も引きこもり続けた。保身。変化を嫌う。環境に働きかける行動を限界まで避ける。実際には「働きかけない」という行為を働きかけているのに、それで避けた気になってる。避ける。どう避けたか。内的世界に逃避することで苦痛の一時しのぎを繰り返す。なんで?どうしてこんなに環境への働きかけに消極的なんだろう。「声を上げるとひどい目にあう」という漠然とした思い込みがあるから。「ひどい目」に対処できない自分、対処に失敗して殺されてしまう自分、という弱者像、被害者像に甘んじる自分を見る。

対処に当たろうと思ったとき考慮に入れるのは、できるかできないかじゃなくて、するかしないかじゃないのか。やると腹をくくったらやるだけだ。あとはどうすれば目的が達成されるかだけに集中できる。できるならやる。できないならどうすればできるのか模索する。やらないと決めたのならやらなければいい。でもできるかできないかを意思決定の基盤に据えるのは余裕ありきだ、できないことはやらなくてもいいという余裕。もちろん余裕があるに越したことはない!やりたくないことはやらずにすむのが一番だ。でもやってもやらなくてもどっちにしても死ぬ状況なら、やるほうがまだ活路を見いだせる。黙ってなにもわからないまま死ぬより多くのものが見える。知るを欲するならやるしかない。死にたくないならやる以外の選択肢など消える。

ずいぶんマッチョな考え方だな!

違う。窮鼠の思想だよ。

やりたくなくてやらなかったら死ぬなら、やって生き残るよりやらずに死ぬという選択肢もある。

ていうかはよ死にたいんじゃなかったんか。

わからん。でも僕は自分の生死を支配したりコントロールすることに興味がない。そうじゃなくて今生きてるんだからとりあえず今生きてる自分は尊重するくらいの距離感。僕が死を望むときそれは命の終わりを乞うているわけじゃなく、すべてのしがらみから解放されて無になりたいという願望からで、それは生殺与奪とかそういう軸の話じゃなく煩悩、欲求の一つで、腹減ったからなんか食べたいとか眠いから寝たいとかそういうのの一種だ。その欲求の中に痛い目にあいたくないから危機回避するってのも含まれてるし、一切が煩わしいから一切から解放されたいという欲求も含まれてる。でも解放される方法はいきなり生命活動に終止符を打つ以外にももっといろいろ手段があるはずで、そう思えるから自殺してないんだろうな、余裕だな。

なんだこれ。そもそもなんでこんなこと考えているのだ。人事の人から"自主性のなさ"とその改善を暗に指摘され続けてきて、はぁまあそれは事実ですけどと思い、なぜなら他人や環境に対して一切自分から必要以上になにかを働きかけるような行為をしないので、僕は別に自分に自主性がないとは思わないけど自主性がないように見える振る舞いをしているのはその通りだと思う。そこに文句はないんだけどなんでそこまで求められなあかんねんということにまでいちいいち応えていたらきりがないと思うんだけど、なんでそこまで応えてもらえるという前提で要求してくるのか。賃金お支払いいただいてるからだったわ。じゃあいらねえよ!受け取らねえよその金はよ!でもお金がないと死んじゃいます、生活を他力に依存してるので。エヘヘッ。どの口が魂は売らないとか言ってんすか?つーか必要以上に干渉しないってことは必要なぶんだけは自主性発揮してるってことだろうが!許して。勘弁してください。いや必要量満たしてないから要求されてるんじゃないの。それもそうだな!お次は腹踊りでもしましょうか?どこまで釣り上げてくるか見ものだな!極端なんだよ思考回路が。果たしてそうかな?僕は自主性を持ちたくないのか?持ちたくないね、手に負えない面倒はごめんだ、暗くて不気味で消極的でなに考えてるかわからん昼行灯だと思われてるなら、それはそれで別にそういうキャラって扱いでよくねえか、よそよそしいわけでもないし無視もしてない、挨拶もするし笑顔で相づちは打つし雑談ふられたら聞き役にもなる、全部親の機嫌伺うために培ってきた技術じゃオラ、いややることやってるでしょ、こんだけやって逆になにが不満なんだよマジで。もっと自己開示しろとか話し役に回れってことじゃないすか、話題振れば?え、むり話題袋の中身からっぽ。用もなく雑談で自分から話しかけたり自己主張するなんてよっぽどハイになってないとやらないよ、めちゃくちゃ神経使うんだよ。用ってか目的ならあるだろ、自己開示をして自分の情報を明かし安心感を与える、安心したいんだろ、不安なんだろう僕がどういう人間なのかわからなくて、知らんけど。でもこんなぐちゃぐちゃの中身みせられるわけねえわ。困らせるだけだし。本当に勘弁してくれ。でも、自己開示できるようになりたいよ、絶対できたほうが楽だし便利だと思うよ。慣れだよ。すべては慣れだ、惰性と習性だ。またすべてとか言ってる。自分の好悪を、趣味を、主義を、考えを明かしたくない。それを明かすことは暴力を振るうことと同じに感じる。なんでだ。とにかく、それはとても恐ろしい。だからこうやって暴力振るい慣れていこうとしてる。加減なんだよ。バランスの問題だ。力の振るい方を覚える必要がある。生きることは殺すこと。

風邪の諸症状を浴びてぼーっとしてたらもう6月になった、月の頭から今日まで、こんこんと寝る、ちょっと起きて飯食う、寝るの繰り返し。発熱がなく汗をあまりかかなかったので治りが遅い。僕の体はたくさん汗をかいたあと、汗が引くのに合わせて症状がおさまっていく。ていう体感と傾向。もっと厚着して寝たらよかったな、そこまで頭が回らなかった。どうでもよかった。別にどうなっても。
朝起きると喉を保護する粘膜が失われていると、すぐにわかった。「私の風邪は喉から!」気管に息が当たるのが痛い。いや、吸いも吐きもしなくても、空気が触れる、それだけで常に、乾燥して敏感になった傷口を刺激物が撫でる。かのように痛む。次にくしゃみ。咳。臓器の奥からえずいて出る咳。鼻炎。皮膚を焼いて溶かす硫酸のような水洟。吐き気。立ちくらみ。頭痛。無気力。細切れな眠り。わかりやすく引いたもんだ。でもこんなに症状ひでえのは久々。深い眠りがなく、頭はいつも半覚醒状態。朦朧とする。眠りの浅瀬で、脳の片端が働き続けているのを感じる。高速でなにかを処理している。なんだ?過去の会話、過去の記憶。人のイメージ、人の群れの?声、会話、想念、なんらかの概念、無数のシルエット、無数の場面設定。それらがハレーションを起こす。叫び声、悲鳴が連想される。少し背を起こす。電気のついていない昼間の暗がり。開けたままのドアの向こう、ああ、寝る前に読んだ漫画の影響だ、背の高い、黒髪の女の姿。首は扉より高い位置にあって、顔も表情もわからない。腕。スカートから覗く足。長い髪。暗いドアの向こう。脅かしに来てくれたのか、僕を構ってくれる?殺し合いする?一緒に死のうか?また眠り。浅い眠り。イヤホン。カーテン。枕。綿のカバーの音と手触り。不快感。不快感を感じている。生命機関が機能しているから。やっぱりおかしいな。おかしいよ、肉体があるのは。なんだこりゃ。肉体!自分の意志と関係なく活動し続ける精緻な動物。僕がこの動物の主導権を握ってる?意味わかんねえ。精神、霊の部分は、所詮、肉体の付属品、副産物だ、そうなのか?精神!なんてとるにたらないんだ、なぜある?なぜ意識は。不思議だ、愉快だね。面白いね。

ずいぶん回復したので、日常が通常のルーティンにすげかわった。引きこもってると一日の時間の流れは社会性を即座に失う。24時間制じゃなくなる。ていうか数字の概念が消える。
母に思ってた色々を恨みがましく書いたことで落ち込んでいた。あしざまにいえばスッキリする。感情へのお見舞いだ。感情を解放できる。手放せる。ぶつけどころを欲してた。八つ当たりとわかっていても。いいんだ。抑圧するよりマシだ。見ないふりをするよりずっといい。それがないように振る舞うより。気丈に我慢強く笑って誤魔化すより何倍もマシだ。それで忘れた気になれたか、残念、それは澱になっていつか溢れるツケだったんでした。誤魔化しはうんざりだ。もう僕に通用しない。なにも誤魔化すことはできない。

風邪を引く前、5月最後に出勤した日、休憩時間の雑談で、死の話がされているのを聞いた、いつもの儀式的な死、社会的に、集団の一部として扱われる死の話じゃない!ひとつの個人の生死の話だ、鼓動が早くなった、命について語ってる!一生命としての自覚を持った話だ!人生、その道程、その終わりについて、それを聞くのはとても好きだ、好き好き好き、もっと聞きたいな、もっと話してほしいな、もっと知りたいな、不思議だよね!話はでもすぐに社会的な死の話になった。例の拡大自殺。殺人の話に。どのみち人間いつかは死ぬそこで死ぬのがその人の運命だったはじめから決まったさだめだったそのために生きてたんだ殺されるために。死んだ成人男性はエリート人材だったから貴重な価値ある有能な日本人が失われて惜しまれる。とかなんとか。好き放題だな君達。そりゃそうだ。単なる話のタネだ。単なる話のタネ。単なる話のタネだ。単なる話のタネだよ。単なる話のタネ。単なる話のタネ。単なる話のタネだ。気分が腐って思考が止まった。なにか言いたいことがあるんだな?あそこへ割って入っていやそれはおかしいよ、そう言いたかったか?僕はそう思わないよって?ああ、そう、じゃその場でそうしろよ、すればよかったんだ、でもしなかった、そしてそのとき晴らせなかった憂さをここで晴らすんだ、うじうじうじうじ、笑えるよ、沈黙は金?薄汚い、けがれた金だ。僕はこういう奴、対立を避ける、保身に走る、逃げ隠れが得意な、卑怯で、臆病で、陰険で傲慢な根暗。てか割って入るわけないよ。あほか、おまえファミレスの会話に割り込むのか、電車内で出くわした会話に?プライベートな雑談だ、僕はその場にいた、でもいなかった、その輪の中には。輪の中?そう、公共の空間と個人的な領域。その境界。境界線の外側に僕はいる、いつも、そう感じる、どこからが踏み込んでいい線?どこまでが……慎重になる、慎重なのに迂闊だ。逆だ。迂闊だから慎重であるよう意識する。こんなの書いてワールドワイドに公開するのが迂闊以外のなんだって?え?ああ、こういうときは呪文を唱えるに限るよな、そうだった、暗唱して?この物語はフィクションです、実在する人物や団体とは一切関係がありません。単なる話のタネだ。

僕は他人に嫌悪感を覚えるとまずその中身を点検するより前に、嫌悪感を覚えた自分自身を嫌悪する自己嫌悪へと、なりふりかまわず真っ先に走る傾向がある。傾向というか習性。癖。躾の賜物。馴染みのある自己懲罰。あとはお決まりの流れ。いかに自分が下等で下品で汚いかを一生懸命自分に言い聞かせる。暗示。洗脳。呪い。あのさ、それをやってやりたかったのは、発端になった嫌悪を引き起こした対象に対してなんだろ?知ってる。でも向けたくないんだな?他人に悪意を。それも知ってる。じゃあなぜ他人に悪意を向けたくないのか?反撃されるのが怖いからだろ。ひひひひ。だから矛先を自分に向ける。反撃されても構わないとたかをくくって、よどみないまっすぐな悪意を自分に。敵意を。害意を。嘲笑と侮蔑を。醜いよ。醜い?知ってる。自己嫌悪する自分に自己嫌悪するなよ、マジで不毛だぞ。自分で地獄を作ってるこの人。心のこもった手作りの地獄です。燃やし尽くそう。僕の一部だ。荼毘にふせ。供養しろ。弔おう。手放そう。

奉納5

母がスピリチュアル方向に行ったときのあの気持ちをどう表現したらいいんだろう。

幻滅、疑問、怒り、悲しみ、不甲斐なさ、やるせなさ、諦め?

母の選択だし、母の決定だったのに、責任の一端は間違いなく自分も担っていると思った。

母は望んだ、「僕に幸せになってほしい」!「良くなってほしい」!「治ってほしい」!

僕が苦しんでいるから、苦しみを消し去って、幸せになってほしかった、それを動機にして、ペテンにすがった。

それが悲しかった。

でも、そうじゃねえよな、幸せになりたかったのは、母自身もだよ。ていうか、母自身が自身の幸せを求めたんだよ。僕の幸せは間接的に望まれてたものだな。ね、苦しんでいる僕を見ているのは苦しいから、だから楽になりたかった、自分を幸せにしたかったんだよね、わかるよ、それは自然で素直で純粋な動機だ、全然わかるよ。でも、手段はどうだったんだ、幸せになれたのか、それで。そこなんだよ。

母の信仰したペテンの念仏はこうだ。本来の自分は、大切でかけがえのない存在だ。本来の自分は、喜んだり、楽しんだりを、ありのまま、飾らずにできてしかるべきで、なにも傷つけることなく、愛され、許されている存在だ。本来の自分の素晴らしさに気づけば、誰でも、変われる。

うん、もちろん、そうであったら素晴らしいよね、でもな、いいか、おい、本来の自分とはなにを指しているんだ。あのな、今、ここに、いる、この自分こそが、本来の自分なんだよ。そこでもう話がズレるわけ。で、変われるってなんだよ?こっちは変わりたくねえんだっつうの、変わりたくないっていうかな、操作されたくないんだよな、あんたの、望んでる方向に、理想通りの、期待通りの姿であるようにと、僕は、僕を、書き換えられたくなかったんですよね。そこもわかってもらえなかったよな。ありのままで素晴らしいっつうなら、じゃあありのままを認めえやと思うんですけど、違うんですか?違うよな、だから書き換えようとするんだよな?素晴らしいことが大前提とされるこの教義において、素晴らしいなら、矯正の必要がない。素晴らしくないなら、矯正が必要だ。当然そういう論法になって、まあ鞭の飛ぶことよ。結局それか。自縄自縛、賞罰、支配とコントロール!結局、自分は、認められるような存在じゃないんですね、生の苦しみでのたうちまわってしまうような自分は。ははは。みたいな。

母は僕を認めなかった、苦しむ僕を否定した、苦しまないようあれと願った、苦しむ僕は居てはいけない、苦しみはあってはならないものだった、そう思った。だから悲しませたし、悲しませたことが悲しかった。苦しみがなければと思った。でも、苦しみはあった。それを自分で騙すことはできなかった。

ペテンはありがとう教でもあった。こうだ。自分に感謝をしよう、え?できない?それは自分の価値を低く見積もっているからだ!あなたは素晴らしいのだから価値が低いなどと思うのは間違いだ!勇気を出して自分にありがとうと言ってみよう!素晴らしいあなたには素晴らしいことしか起こらない!素晴らしいことが起こらないのは、あなたが感謝をしないからだ!レッツセイ、ありがとう、私は素晴らしい!で、たちまちのうちに鬱は治り難病は完治し子供は思い通り動くってわけ……………

これ要は、感謝すればしただけ状況が変わる、魔法のように自分の望み通り変わってくれるという期待を持って、見返りを求めて、自己暗示として、かつ他力本願でもって、お題目を唱えてるんだけど、○○してくれてありがとう、とか言って、やってもないことに感謝されたり、実像とかけ離れた自分を労われたりするの、本気で嫌だった。してほしいことがあるなら、はっきり言ってくれやと思ったけど、言って頼んでも僕が変わらないからこういう手段に出たんじゃねえか!可哀想な母さん。でも、暗示にはうんざりだ。あなたは我慢強い。あなたはやればできる。あなたは頑張ってる。なぜそうである僕を望む?大嫌いだ、そんな自分。我慢、苦痛を忍ぶこと、大したことじゃないと自分に言い聞かせ、苦しみを拡散すること。大したことなんだよ、その苦しみは。本当に必要なのは耐えることじゃなく、耐えなくてもいいように工夫することだろうが。頑張ってるってのも、同じ理由で誤解だよ。頑張ってねえわ。僕はただ、逃げ続けてるだけだ、頑張ってるとしたら、逃げるのを頑張ってるんだな。本当に踏ん張るんだったらだな、もっと自分の潔癖症を追求する必要があるだろうな、自分の欠点を見つけてはそれを修正、欠点を見つけては修正、以下一生繰り返しだ。そのことを指してんだろ、努力や、頑張りってのは。うんざりだよ、もう、自分や他人をなじり、責め続けながらそれをやるのは。やればできるって、そもそもやりたくなどないと再三言ってることに対してそれは……無視されてるようにしか感じない、どこ向いて話してんだよとしか思わない。やりたくないことをやらなくてすむなら、やらないですむほうがいいよ。やらなかった結果困るようなら、そのときはそのときだ、やらなかったことでもう二度と取り返しがつかないっていうなら、それはそれで自分がやらないってことをやってきた結果だ、そのことで誰を責めたりもしない。だいたい、やればできるってなにを指して言ってるんだ。できないことのほうが多い中、できないことをできるようになるために必要な過程と多大な労力を無視して、根性論だけで軽く扱いすぎじゃないのか。こういうことを、いちいち言い返すべきだったんだろうか。その時その時はムカついて、悲しくなって、言い返したこともある、でも暖簾に腕押しだ、説明しても無駄で理解されないならと、諦めて、怒りは言葉にならなくなって、投げかけられるたびに通り過してきたけど、そういうのの蓄積で、この人はもう僕を理解する気はないんだろうとか、興味があるのは幸せな状態の僕で、幸せじゃない僕は理解の対象外なんだろうとか、そのように思った。幼稚な発想で簡単に、拗ねたし、ひねくれちゃった。えへへ。僕が素晴らしい人間じゃなくてがっかりしたか?ねえがっかりした?様を見たな、それが僕なんだよ。

めちゃくちゃ鬱憤を晴らしてしまった。あーあ、すっきりだ。ついでに晴らすとだな、家族としての信頼を人質に、何度も宗教活動に参加を強要したこと、忘れねえからな。でも、あなたを憎むんじゃない、あなたをそうさせてしまう、そうさせてしまった状況や、構造が、僕は……

もういい。この話は終わり。まるっきり、恨み節だよ。感傷で自分に酔ってちゃ世話ないや。いやいや、それが楽しくて書きはじめたんだろ、なにもかも。その通り!いつもの自己陶酔、自己嫌悪、自己憐憫だ!あはは!ひとりで完結しすぎやろ。

 

最近の傾向としては、熱が冷めたのか抵抗されすぎて諦めたのか、母は、スピリチュアルな話はめっきり話題にも出さなくなった。最初はオーラの泉に対する親和性。その延長だと思ってた。それで、もう10年以上は経つ。最初は止めようと、そんなのは嘘っぱちだと、騙されているのだと説得を試みた時期もあった。でも、母には信仰が必要だった。すがるものが。実際、手に入れたんだ、すがれるものを。母は、金と自己暗示で買える信仰を持つことができて、幸福を感じているだろうか。でも、そんなの、多少なら誰しもそうだろ、金と自己暗示だ、大抵の些細な幸福は、そうやって得る、そうやって買う、違うか?でも、僕には、苦痛を幸福と偽った欺瞞で、本気で自分を満足させることはできない。母には、人々には、それができているのだろうか。いまだに、音質の悪いCDや音源を買っては聞き、本物以外しか自称しない「本物」と称された石や塩や水を、買っては使っているのがわかる。疑似科学、マクロビ志向と融合して、実家では、それが日常に溶け込んでいる。

天才じゃなくてもいい。

カッコよくなくてもいい。

ダサくてもいい。

大丈夫じゃなくてもいい。

優しくなくてもいい。

カワイくなくてもいい。

平気じゃなくてもいい。

頭よくなくても

要領悪くても

つまらなくても取るに足らなくても

グズでもダメでもクソでも嘘でも

醜くてもわざとらしくても怒りっぽくて善良じゃなくて傷つきやすくて傷つけやすくても

才能なくて悪人で薄っぺらい作り物で保身強くて価値なくて手の施しようなくても

弱くて情けなくて気持ち悪くて猫かぶりで陰険で幼稚で姑息で傲慢でめんどくさくて浅慮でドジで無駄で変で頭おかしくてカワイソーでハズカしくて無礼で下品でも、いいよ。

大丈夫じゃなくても大丈夫だよ。

あなたも、あなたも、あなたもあなたも。

大丈夫だよ。