性嫌悪
なんだ、まだ火がついてるのか。怒りの火が。恐れの炎が。
薪をくべ続けているな。
今日は生々しい体のことを書く。
これは他の誰の人の話でもなくすべて僕の感覚の話。
怒りと恨み、ルサンチマンがこもっている。
自分がどこまで認めたり受け入れたりできるようになっているかを確認する。
書けることができるかどうかを確認する。
どこまで書けるかを。
書くことは確認する作業。
そこになにがあるのかを見るための儀式。
はっきり言って性欲がおぞましい。
特に男性が女性に向ける性欲。
セックスをすると女性は妊娠して子供を産む。
僕の体には子供を妊娠するための機能が備わっている。
体はサイクルに従って機能する。
体はホルモンを調節して、子宮に血を溜めて受精を待つ。一定期間子宮に精子が入ってこなかったのを認めると、溜めておいて不要になった血を、何日にも分けて排出し続ける。それには倦怠と鈍痛を伴う。
膣から血が出ると、嫌でも性について自覚させられる。
もしくは僕は、男性が女性に向ける性欲を恐れているんじゃなく、自分にこの機能が備わっていることがおぞましい。
セックス、受精、妊娠、出産。子を産むための一連の機能。
冷水、氷水を浴びせる、体を殴る、泣く、暴れるなどして、自分の体を憎んだ時期があった。
この機能いらない。
僕はセックスをしたり妊娠をしたりしたくない。
誰であれ人との身体的接触は不快だ。とてつもなく不愉快だ。
バギナにペニスを挿入。バギナにペニスを挿入?
狂っている。絶対御免こうむる。
自分の意志でセックスをしないでいることや妊娠をしないでいることができる、それが守られているならいい。
一方でいくらでもそれが破られる状況を見聞きしてきた。
性的暴行。非合意の性行為。強姦。泣き寝入り。
僕は自分の意志に反してセックスをしたり妊娠をしたりする状況を避けたいし、恐れている。
性犯罪。性的搾取。性的対象化。
セックスができるかどうか、セックスをすると気持ちがよさそうかどうかで体を見ている人間の多さ。
子供を孕む過程が、低俗な娯楽として、卑俗で隠されるべき、恥ずかしい行為として扱われる文化。
そういうものを見聞きして育った。
ああそう。
僕は好き好んで女の体でいるわけじゃない。
僕は女の体を品評される立場に立ったつもりはない。
クソ野郎。
僕が腕力も刃物も銃器も持っていないチビのモヤシだと思ってずいぶん油断しているようだね。
僕の体を女の体として見るな。
女の体として話しかけるな。
女の体として近寄るな。
女の体として触るな。
女の体として扱うな。
おまえの性欲を僕で発散するな。
腹が立つ。
クソゲボ野郎。
目には目を。歯には歯を。からかいには殺意を。僕の体に性的な好奇心を向けるやつを全員呪う。
死ね。
殺す。
でも殺せない。
視線は殺せない。
価値観は殺せない。
文化は殺せない。
体は変わらない。
気が休まらない。
だから死にたい。
僕は自殺ができない。
死ねないから体は消えない。
消えないなら付き合っていくしかない。
付き合っていくなら事態を把握するしかない。
そのようにして受け入れていった。
僕は別に男性になりたいわけじゃない。
でも女性じゃない体は欲しいと思う。
最初から妊娠ができない体。
産む気もない子供を孕むための機能に付き合わなくてすむ体。
産む気のない子供を孕むための機能に左右され、準備を整え続けられなくてすむ体。
産む気のない子供を無理矢理孕まされることに、わずかでも怯えなくてすむ体。
妊娠させられるかもしれないほんのわずかな可能性を想像したりしなくてすむように。
警戒と恐怖で神経を支配されなくてもすむように。
そういう体と精神が欲しい。
男性の体。
一方的に女性を妊娠させることができる体。
どんな気持ちなんだろう。
いったいどんな?
性欲。
知りたくなかった。
早く年老いたい。
性別とセックスと妊娠の呪縛から解放されたい。
書いててわかった。
全然受け入れられとらんやんけ。
そうですね。
なぜ女の体を持つ多くの人間は、こういった機能や、恋愛とか結婚といった、セックスと妊娠に結びついた体験を、平然と、人生の一部として、喜んだりはしゃいだり、一喜一憂も含め楽しみ、娯楽として、当たり前のこととして、受け入れることができるんだろうか。
どのようにしてどうやって受け入れていけたんだろうか。
でも、他人の過程を見聞きしたところで、どちらにせよ自分自身の納得には関係がない。
結局、体感も経験則も個人の物語として収束する。
物語。
物語から学び、受け入れていったのだろうか。
先人の教え。これはこういうものだという価値観の提示。それに習っているだけなのか。
僕には足りない。
恋愛とか結婚とか子育てとか、それ以前の話をもっとしてくれ。性機能を。その扱われ方を、その哲学の話をだよ。
でもだめだ。なにを見聞きしても前提から違う。なにもかも理解には及ばない。全然まったく到底納得できたものじゃない。
納得も共感もできず、疑問は疑問のまま。
そういうのが当てにならないのは当たり前だった。
僕が問題にしているのは自分の感覚の話なんだから。
自分の感覚をわかれるのは自分だけ。
自分の物語として収束させるためには、自分と向き合うしかない。
それだけだ。