頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

もう11月やんけ。今日は休みで本を整理したり洗濯したり掃除機かけたり昼寝して夜まで寝たりしていた。穏やかな一日だった。年中こう穏やかだといいけど人波に揉まれているとそうもいかない。ひとりでいると落ち着くのは結局こういう平穏を独り占めできるからそれが嬉しいんだな。ひとり以上になるとこのようにはいかない。孤独は贅沢品で、僕は独占して、誰にもこの平穏を分け与えたくなどないと思うわけですね、吝嗇家だね。なんでもシェアの時代ですよ。孤独もシェアしていかないとね。続きはウェブでね。ってここがウェブじゃい。ちゃんちゃん。

去年の誕生日には一泊二日で旅行に行っていた。塾やめてからなんもしないまま一年近くアパートに引きこもって、ただれた生活をしていた。いよいよ死ぬかと思ったけど死ぬくらいなら有り金全部使ってもいいだろうと思って、一念発起してどっか行こうと計画を立てた。いうてその金も全部人のもので僕はもうほどこし以外のなにかで生きてきたことがない。労働で対価を得られるようになってからもいまだに金を使うのに抵抗感と罪悪感がある。なにも自分の力じゃないし、なにも自分のものじゃないと思う。全部借り物。全部貰い物。全部人を利用して盗んで奪ったもの。それは実際にそうだけど。鈍行で三時間くらいかけて栃木に行った。なんとなく日光。東照宮とか、ロープウェーで男体山眺めて、華厳の滝東武ワールドスクウェアとか、適当に観光地をぶらぶら。観光スポットは人が多くて、ほとんど楽しいと感じなかった、感じる余裕がなかったというか、なにか感じないといけないんじゃないかと思うとむしろなにも感じられなかった。楽しかったのは、乗り換えたローカル電車の中で、四人がけの椅子に一人で座って、窓から秋の日差しが入ってきて、外は田園と田舎の風景で、舞城王太郎とか読んでた時間。駅についたら土産物屋で売ってた、蒸したてのまんじゅうを買って、熱いほうじ茶と一緒に、冷たい朝の外気を浴びながら食べてた時間。予約したホテルがまたよくて、主要な都市から少し離れた山の中のホテルで、歩き回って暗くなってからチェックインして、7階建ての5階の部屋に泊まった。朝起きて窓を開けたら、夜には鬱蒼と暗かった闇のような山並みが、あざやかな紅葉と真っ青な秋の空に変わっていて、苦しくなった。ハッピーすぎると苦しくなる。小さいけど露天風呂があって、入ったら誰もいなくて、これも最高だった。青い、冷たい、緑、温かい、山の紅葉と鳥、目下に流れる川、お湯と湯気、石の手触り、静謐。思い出したらまた苦しくなってきた。チェックアウトして歩き回った朝のホテル周辺の町も。町というか村落というか。いや村落とまではいかんけど。電車が一時間に一本の頻度だったから、時間までゆっくり、適当に歩いた。肉屋がもう開いていて、揚げたてのコロッケを売っていた。店員のおじちゃんが二人。調理の音と有線の音と鼻歌。メンチカツが一個60円とか意味不明な安さで売っていたので、買って朝ご飯にした。川辺の近くまで行って、木陰で川と山を見ながら食べた。どこを歩いても山が見えて、山は紅葉していて、空がどこまでも真っ青で、気が狂いそう、ここに住もう、ここで死にてえと思った。駅に向かう途中、山道から駅につながる道を見つけた。山の中に入っていく。丸太の階段。急斜面で心臓を痛くしながらも登り切るとなだらかな平地が続く。足の下では赤や黄色な葉っぱが絨毯になって、頭の上からは新しい、赤や黄色な葉っぱが雨のように落ちてくる。ゆっくり降り積もる。木漏れ日の間から、太陽の光を受けて、葉っぱの一枚一枚が透けて輝いている。苦しい苦しい。一年前のことなのに、まだ鮮明に思い出せる。宝石のような記憶。山を降りて駅に着いて、ホームで電車を待っている間に、トンネルに貫かれた巨大な紅葉の山を間近で見られて、それもよかった。川治湯元、また行きたいな。けどこういうの、二度目はあんまり興奮しないんだよな。ファーストインプレッションが最高潮で。

交通費宿泊費食費その他使ったの全部込みで2万くらいで済んだので、高を括っている、今年もどっか行こうと思う。またこういうのが欲しい。なんとなく長野がいい。もう宿をとった。楽しみだね。