頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

電車の中でとか、ラジオやなんかで、人と人の会話を聞いていると、ぎょっとするくらいテンポがスムーズな組み合わせがあって圧倒的な「差」を感じる。

積み重ねた時間?価値観の相性?

気の合う友達同士みたいなかけあいっていうのはなんにしても興味深く聞き入ってしまう。まったく自分は未経験のアトラクションに、今まさにその二人が搭乗して絶叫してる瞬間みたいで!

共有し、精通してるものの濃度が高いほど理解が円滑になるのか。どんどんハイコンテクストになって、阿吽のリズムで矢継ぎ早に、もう踊りか音楽の領域だし、あれは運動だな、スポーツの一種だなと本当に思うな。僕はよくコミュニケーションを取りたいみたいなうわ言を言っているけど、全然本気じゃないのが丸わかりなんだよね、だってそのために必要なああいう筋力を全然使っていないし、使おうともしてないんだからな。実際あれってどうやって鍛わってどう駆使されてるのか想像もつかないよ。わかってなくても動かせる人は動かせる、腕を動かすのにいちいちここの筋肉を使うとか考えないで動かせるのと同じだろう。でも動かさないことには鍛わらないのは確かだよ。動かせるようになれたらいいけど、そうなるための努力はしたくないっていうなら、まあ、じゃあできないままなのは当たり前だ、不平を垂れてりゃできるようになるってもんでもないんだから、本当に手に入れたいと思ってるんだったら、できるようになるためのアクションはあって然るべきで、なんのアクションも取ってないなら、そりゃ結果は自明の理だよな!はい。ここまでは自分を黙らせる鞭のいつものしなりで、よく飽きずに同じところ何回も打ってますねという感じだけど、ここから話をどう分岐させようかな。

じゃあなぜ努力したくないの?

逆にどういうアクションなら取れるの?

まったくそういう努力をしなかったってわけでもないのに、いつからそんなに努力アレルギーになったんだ?

アクションを起こして、なにに手応えを感じて、なにが失策だと感じたのか、そういうのを虱潰しにやっていくのはなしなの?

というか、本来それの繰り返しだし、それ自体は無意識にやっているんでは?

だいたい、本当に心からコミュニケーションを取りたいと思ってる場面なんかあるのか?

「心から」はそう思ってないのでは?

「心からコミュニケーションを取りたいと思う」心境ってどんなシチュエーションを想像してるんだよ?

「コミュニケーションを取る」のハードルが高すぎるのでは?

またなにか高望みをしているのでは? なにを望んでる? 「コミュニケーション」ってなんだ?

……。

なんでこんなに質問攻めにされてるんだ。

ただちょっとうらやましかっただけなのに!

あのくらい誰とでも思いのままにラリーを返せたら気分がいいんだろうなと思っただけじゃないか!

誰とも思いのままにラリーを返せないから気分が悪く、そうやって人を妬むのか?

身も蓋もねえな。

人が大勢いるところで、喋っているのが自然な状態な場所で縮こまってると、自分のすべてが不自然に感じて、居心地が悪い。気を遣われて話しかけられても、会話続かないし、よっぽどのことがない限り自分から話振れない。それは気分が悪いとか妬むとかそういう次元の話じゃない。

でも、「うらやましい」って要は妬みなんじゃないの?

あいつは「上」で俺は「下」、俺も「上」にのぼりたい!、ですか?

人と自分の距離や位置、関係をまず「上下」で測ろうとするところが、犬っぽいなぁと思う。

縦しゃか~い

横はないんですか?

気分だけは横意識バリバリなんだけど、なんか社会全体のシステムがそうじゃないから、それに引っ張られてる感じはする。

システムに則ると、まず自分が下であるという負け犬根性が当たり前のようにあって、それが「謙遜」として嫌味なくらいへりくだった態度になるか、「尊敬」として大げさなまでに媚びた態度として現れる。

でも、犬的に振る舞う人格を運用する限り誰しもがそれに支配されているんでは?

だ、だ、だ、だれしも?

すぐ主語デカくすな

支配されているのはお前だろ

自分と人を比較して、人にできることを自分はできないと数えて過ごして。そうやってなにを得ている?

なにをもなにも、事実を確認しようとしてるのでは?それが現実ってやつなんだろう?

なんかおかしいんだよ。できることとできないことが人によって違うのはそもそも大前提だし、そういう特性があるいは人類を繁栄させてきたんだし、人類の繁栄はどうでもいいとして、人間の精神性のおもしろみって結局はそこに、そういう差異に詰まってるのに、そこに上下だの妬みだのが入り込むのってすっごい意味不明では?

妬み。妬み?

コミュ力への………?

妬みっていうのとなんか違うよね、劣等感?

似たようなもんだろう

全然違う。

妬みは「本来自分も得ているはずのものを他の何者かが持っていることへの不満、憎しみ」みたいな感じで、劣等感は「自分と相手がそもそも同じ土俵になど立っていないことによる、目線の合わない悔しさ」みたいな感覚。

おおー。

そういうふうに認識していたのか僕は。

「目線が合わなくて悔しい」のが劣等感ってなんかおかしくない?もっと屈折してるイメージ。オレナンカドーセ感が足りない。

まさにそうでは?劣等感があるからこそ、対等に渡り合えないと感じて、自分の力の無さに拗ねる。最初から力量差を理解していれば感じ得ない。

すねてんの!?

あれは拗ねでしょう。一緒に遊びたいのに遊べなくてさみちいんだよね?

ああ…なるほど。

力量差なー。

力量差て。

力に差とかあります?

いやあるでしょ。

見方次第では?

見方とは。

単位を揃えて見るから、なんでも上下でとらえる癖があるのでは?一旦全部数値に置き換えてるでしょ。大なりと小なりが出てくる。でも…本来、単位の異なるもの同士は比べようがない。鉄と豆を比較しようとするみたいに。毛虫は毛虫という状態、存在で、蛹は蛹という状態であり存在なんだよ、それ以上になにが? 状態や存在を数値に変換するから妙なことになるのでは? まったく異なるものを比較しようとしてる。無理やり単位を揃えて。揃うように、揃わない部分は切り取って。そうやって、わざわざどこかから持ち出してきた規格で、唯一なにとも比較できないものを比較するのって、すごく機械的だし、工業的で、君の大嫌いな人間の人材・道具扱いでしかないじゃないか!!

瞬間湯沸かし器出たな。

うーん。

規格ってところが肝なんだろうな。物事になんらかの型を見出すと、なんでもその型に当てはめて考えたくなる。

パターンで処理してラクしようとしてるんじゃないすかね。

それってすごく嫌いだな…。

そうは言っても意識と無関係に脳みそが癖でやってることだからな。それに、パターン化で得られる利点も多いし、だからこそそういう機能が備わってるんだし。

物事を、機械的に黙々と処理できること、分割したり、扱いを簡単にしたり、なるべく考えなくてすむこと。省エネ機能なんすよね。

ラクがしたいんだったら思考停止してたほうが圧倒的にラクなのに、ラクがしてえラクがしてえとか言いながら逆走してるのまじうけるんだよな。

いや、自分にとっては思考停止にともなう苦痛のほうが大きくて、思考を走らせてると紛らわせる鎮痛作用のほうが、ラクさにおいては上回ってるんすよ。

言ってろよ。

言っとくけど絶対思考停止してる時間のほうがなげえぞ。

はい、僕はなにも考えてないです!!ぼかーんぼかーん!!

爆発オチだ

 

なんでもいいけど、コミュニケーションに関しては顔色伺うのやめたら解決だろという話なんじゃないんですか。始終ビクビクおどおどしてるやつが異文化交流もクソもあったもんじゃないでしょう。どうしたら顔色伺う癖抜けるんだ。マジで人の機嫌損ねるの怖すぎる。怖すぎるあまり怯えを捨てなんなら多少おどけてみせたほうがむしろ被ダメ少ないことがわかっていながら舵取りがきかず方針転換もままならない。ワハハー!でもだいぶおどけるのうまくなってきたと思う!すごいすごい!虚しい!