頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

ヘブンリーヘル

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「そういうものだから」

魔法の言葉。

大抵のことはなんでも「それはそういうものだから」で締められるわけです。

そうなってるんだから。

それ以上疑問持たずに受け入れるのって賢い。

なんで僕はそうしないんだ。

いやいや、そうしてるよ。そうしてる部分があるから生きられてる。生きてること全部に疑問持ってなんもかも拒絶してたら生きられない。なんで拒絶する必要があるのか。なんで受け入れる必要があるのか。拒絶するかどうか受け入れるかどうかはどうやって判断してるのか。どうやってそう判断する基準が設計されていくのか。

 

よく赤ん坊について考える。まっさらのタブララサ。

本当にまっさらなら恐れも怯えもない。なにもないから。

でも赤ん坊は泣くし怯える。

赤ん坊は影を恐れる。それでも、影がきちんと常に足から生えてくっついているかどうかを確かめて神経質になったりしない。

暗がりに怯えはしても、闇の中に幽霊のイメージを凝らして見たりしない。

人の顔を識別しても、その形が美しいかどうかなんて考えない。

 

人っていつどのタイミングで、なにかを美しいとか醜いとか感じはじめるんだろう。

美醜の感覚ってどうやって育つのかな。生存戦略、文化、流行?

なにが美と醜を分けてるの?

なぜ今美と感じられるものは醜ではなかったの?

どうして美は美で醜は醜と感じるの?

なぜその逆じゃないの?

逆ではいけなかった理由は?

自我が芽生えて、鏡で見る自分の姿を自分の姿だと認識して、目や歯や鼻をじっと観察し、それまで見てきた他者の目や歯や鼻の形と比較して、優劣をつける。

どうして比較して優劣をつけるんだろう。

そういうものだから?

 

今「そういうもの」と呼ばれてる状態ってどうやって今の形になっていったの?

なんで「そういうもの」は「そういうもの」以外ではありえなかったの?

必然性があって今の形に収まってる。

どんなに醜悪な必然性でも理由がある。

その理由ってなに?

なんでその理由は「その理由」じゃなければならなかったんだろう?

僕何言ってんの?

 

理路整然と現実ってゲームに挑んで、クエストクリアに必要な知識も豊富で、実績解除もいっぱい。

どんなに立派さを堅牢に積み立てあげた人間でも、赤ん坊からスタートなのは同じで

その堅牢さは全部無防備な赤ん坊の上に積み上がってる。

この世は赤ん坊天国で、赤ん坊が遊び回ってる。

めちゃくちゃたくさんの赤ん坊がうじゃうじゃ遊び回ってる。

それだけ。