頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

イエスマイ労働

今月いっぱいで辞めよう、って先月も思ってたんすけど、この調子で今月も通い続けるんでしょうか、限界が来るまで。なんか一回軌道に乗るとそこから気軽に脱せなくなる。「今月はまだやることが残ってるから中途半端に投げ出すのは無責任なのでは」「行かないと約束を反故にすることになるし」、これです、義務感。義務感、大嫌い。でも、義務感に弱い。でもじゃねえな、だからですわ。義務感に弱いから義務感が大嫌いなんだ。自分の都合、苦しみ、痛み、声は、いくらでも、死ぬまで、義務感の犠牲になり続けると思う。それが過労死だと思う。

 

手帳が、とか一瞬考えてたけど、なんでそんなの可能性としてでも考えたんだろうと思うくらい、今はその発想をまだ持つことができた自分を信じられない。

あなたは病気ですって言ってもらって、あなたは病気だから働かなくていいですって、それで施しを受けてまた生き延びるつもりだった? 考えも、やろうとしてたことも、やってきたこととなんも変わんにゃいすね。そのそれで親に寄生して生き延びたんじゃん? でも、もうそれヤダからって足洗ったのにね。

 

また「辞めてどうすんの?」で動けなくなるパターンだ。辞めたあとのことを考えずに動いても、同じことの繰り返しになるのでは? 今よりもっと痛くて苦しい気分で打ちのめされるに違いない。云々……。

実際そうなんじゃないのかと思う、だってそうだったし。

なにかがマシになったのかな?なにも変わんないよ。生きるために金を集めるっていうゴールの設定が同じなんだから。通る道が違うだけで。金を集めようとする限りマシにはならないという気がすごくしてる。生きようとする限りマシにならない。死なないと話が始まらない。苦しくて痛いところの先に死はある。でも、精神も体も、苦痛を避けようとするから、話が始まらない。味も変化もない慣れのなかで衰弱していく。それはとても見苦しい。そして、かわいそう。そんなになってまで死を恐れて、魂を拘束されて、動けないでいるなんて憐れすぎる。刺激や破壊のない生のなにが生なんですか、壊して壊れて壊されてなんぼですよ、つって。あれ、なんの話?

 

やりたくないことはわかるけど、やりたいことがないから、明示されたクエストを達成するみたいにはステップを踏めない。

やりたくないことをやらないでいるためには、Aのやりたくないことと、Bのやりたくないことのうちどちらかを選択しないといけない。

BよりAのほうがマシだからという理由で、現行実行中のAを選び続けて、永遠にBは想像の彼方。

 

街をふらふらしながら、アルバイトを募集している店を観察する。接客業ばかり目に留まる。接客が好きなかた募集。明るくやる気のあるかた募集。あるいは時給と時間帯要相談のみ記載の張り紙で、張り紙の奥できびきびテキパキとマルチタスクに業務をこなす店員の姿、その姿こそが求められている能力の募集要項だったり。すごいな。人と人の距離が近く、スペース狭くて空気淀んでて不自然に明るい人工の光の中で、一日に何時間も人を相手にする。なんだこの仕組み。

募集要項の、求められている能力の、なににも僕は当てはまらないので、当てはまらないなぁと思いながら見ている。「当てはまるようになったほうがいいよ!それが正攻法なんだよ!」「わざわざ満身創痍になるのが見えてる道を選ぶ意味がない、しかも対価が労力に見合わないのに」「基本的には苦痛に対してしょっぱい代償しか得られないシステムの世界線なんで」「満身創痍になるかわりに生きていていいって許可証をもらえる。生きるためには満身創痍にならないといけない。満身創痍になる道を選ばないと生きていていいって許可証はもらえないから、満身創痍になる道を選ばないといけない。生きていていいって許可証もらうために…………」「そうやってみんな許可をもらって生きているんだよ!君も生きたいなら許可を得る必要があるんだよ!満身創痍になるべきだよ!」うるせーうるせ~~~~~絶対嫌だ!絶対僕はこれだけは…。いやだからもう満身創痍なんでしょ既に。だったら今以上痛くてつらくても同じことじゃん。

登校拒否してたころ車に押し込んで無理やり学校に連れて行かれそうになったときのことを思い出した。

同じこと自分にしてる。

きっと同じことを他人にもできるんだろうな。

だったら嫌だな。

またやってもいないことで自分を嫌いになった。

また自分が自分にやっていることで自分を嫌いになった。

嫌いを数えて生きているね。

楽しい?

楽しいっていうか中毒だよね、自己嫌悪の中毒性ってなんなんだろうな。

麻薬的ー。

ごちゃごちゃ考えすぎなんだよな、僕これ嫌!嫌なのでやらないです!それで済む話ですよ。終わり終わり。終わりでーす。

やらないと殺すって脅されてるので終わりじゃないです。

 

正直当初は、対人苦手意識を克服しようという気概があった、だから今の半分は作業だけど半分は接客みたいな職種でも意識の選択肢にのぼった。けど今はもう、人から離れたい、とにかく人から逃れたいという気持ちが強い。

 

一人で、黙々と、単純作業を繰り返し続ける業務が好きなことに気づいた。うんと体を動かす単純作業は瞑想状態になれて気分がいい。掃除もいいし、手を動してものを作るのも。

土いじりがしてえな。

なにかそういう仕事。

でも人間と関わって人間と一緒に仕事する以上、同じことの繰り返しなんじゃんね。

怒られるの嫌だな。それで癖で愛想笑いのおべっか使って嘘ばっかりつくことになるんだろうな、嫌だな。怒られるのが嫌で、失敗を隠して、信用を失うんだ。へたに自分を明かして嫌悪や侮蔑や失望やひんしゅくを買って気まずくなるのが嫌で、秘密主義になって、誰とも打ち解けられなくて、息苦しくなってまた逃げ出すんだろう。

怒られるのを嫌がってるのが嫌だよ。いい加減慣れろよ。

怒られる理由わかるけどね…。物覚えは悪いし、記憶力もないし、察しも要領も悪いし仕事は雑だし~常に緊張と恐怖に支配されてるしすぐ希死念慮に捉われるし意識は朦朧としてるし。よく体裁保ってごまかせてるな…すごーい。

 

失敗をリカバリするというやりかたで人と接してこなかったから、なにかポカするともうそこでゲームオーバー気分になる、ゲームオーバーってか、今までのセーブデータ消えました、ニューゲームもできません、なぜならゲームの本体データそのものが、たった今あなたの行いによって破損されましたので、みたいな、あはは。失敗することにいつまで経っても慣れないし、いつまでも怯え続けています。怒られた理由の必然性や正当性が頭で理解できても、思考に身体がついていかない。怒られた瞬間、破滅的で悲観的な気分に支配されて、その感覚のまま時間が止まる。止まった時間の中を何度も行き来することになる。愛想笑いしながら、挨拶しながら喋りながら、頭の中のぱんぱんにうんだ膿が破裂しないように、感覚を麻痺させるのに集中し続ける。最大限「人の為」を思ってこの感覚麻痺を意識的に選択してるっていうのが絶望的、こんなに自分の痛覚のことでいっぱいいっぱいでなにが人の為だよ。膿が破裂したらひどいことになると思ってる。感情が爆発したら。それで感情を抑える。失敗の対処に当たるためにもとりあえずその場をしのぐ。抑えた感情はあとで発作的に現れる。てんかんチックな震え。失禁みたいな嗚咽。この発作も恐れる。抑圧からの発作って回路が発動するトリガーになるからまた怒られを恐れて、二重にも三重にも怒られを恐れてる!スパゲッティコード

怒られないよう怒られないようと思いながら生きてきたんだなぁ。

僕は本当に不思議なんだけど、なんで我慢ができるんだろうな。なんでって訓練積んでるんで…。どこでどうやって?どこでどうやってなんだっけ…。なんかね、耐えんくていいよ。もうそんなになるくらいなら、破裂しちゃえよ。まだ迷惑がどうとか、困らせるからとか言ってるのなんなの。建前でしょそんなの。微塵も相手の気持ちなんか考えてないよ、僕は。そんなの想像も及ばないし。困らせたり迷惑かけたりしたら生きていていいって言ってもらえなくなるからって、そう思うから自分の加害性に怯えるんで、結局自己保身なんじゃん!相手が困惑や迷惑を感じること、そこに対して罪悪感を覚えるのは一瞬で、大半は、困らせたり迷惑かけたりするとそのぶん報復を食らうと思うからそれを怖がってんでしょ。自分のことみたいには相手の痛覚を本当には想像できないから、こんなふうに、自分自分って自分のことばかり考えることになる。でももういいよ。困ってて迷惑を感じてるのはお互いさまなんだから。自分が今まさに困ってて迷惑をかけられてるって感じてるからこそ、他人のことまで考えられないくらい切羽詰まって身動き取れない、余裕がない、じゃ、報復を食らわせてみたらいいのでは?困らせてみろ、迷惑かけてみろよ、怒らせちゃえよ、へへへ。そのほうがおもしろいし、むしろそれで対等だ。我慢「してあげてる」と思うから傲慢になるんだ。だれも我慢してなんて頼んでない、ただそうしていたほうがまともで、そうじゃないならまともじゃないって「空気」を勝手に察して、まともじゃないって言われるのが怖いから、まともっぽく見えるほうに乗っかってるだけ。自分に度胸がないのを空気のせいにして、それで溜飲は下がっても、責任転嫁しっぱなしならなにも解決しないままだ。

4月だか働きはじめのとき、一回雇用主に牙むいてたのなんだったのあれは。なんかもう牙抜けちゃったもん。怒られたらすぐお腹見せちゃうよ。それもう習性なんですね。自分には相手を損なってでもそれを貫くだけの主義があるから、とかそんなのも一瞬で粉々になって考えられなくなる。お腹見せたくないよ。だから牙を研いでおく必要があったんさ。ガオー。

 

戦闘に対する耐久性が低い。非戦闘的であることが平和的だとは思わない。大抵のむごたらしいことは平和の皮の下で起きている。無関心なふりをし続けないといけないことや誰かに感情の抑圧を強いることが平和的で通るのは、距離を遠くに置いてられるうちだけ。戦闘のただなかにあって無関心と抑圧はそれこそが虐殺を助長してる。

でも、暴力にはうんざりだ。暴力的でもなく、抑圧的でもない方法があるはず。

遠くに行きたい。