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自分の書いた昔の記事斜め読みで見返してたんだけど、うじうじうじうじ鬱陶しいなこいつ、演技がかってて嘘くさいしよ。表現の内訳が、芝居じみた部分に重きが置かれすぎててくどいし、中身がない。
厳しいなあ。
でも必死なんだ。演技がかるステップを踏まないとなにも言えなくなるみたい現象あるんだよな。表現ってそうでねーの、たいがい。芝居だよ芝居、なんもかんも。芝居じゃない表現なんてあんのか?
出たよまたすべてはXである論法。AはXである。BもXである。したがって、いかなる場合もXである。
うじうじしてて鬱陶しいのはそれなと思いますけどね、なんか考えてもしょうがねえことを延々水で薄めて飲んでるみたいな、思い切り悪い、原液飲めよ原液。
原液の濃度に耐えられないから薄めて小出しにしてる感じはある。
なんですぐ比喩合戦になるの。
このこれがもう中身がない嘘くさい芝居の典型なんだよ。
すぐ自己言及。
なんか書いとけ感
shita red big
うじうじしてるのが嫌いなのは思い切りが悪いかららしい。思い切りが悪いのが嫌いなのはなんで?
潔くないから。
潔くないのが嫌いなのはどうして?
なんでだろう。すげえ余裕あるじゃんと思ってしまう。なんか切羽詰まった感じがなくてそれがムカつく、その程度の薄さじゃねえだろもっと本気出せやみたいな。原液原液。なんで全力出さないんだよ余力を残すなよと思う。気取る余裕があるならその余力を全力全部出し切る方に使え。
でも僕は全力を出すことの危険性を知っている。
僕は力の制御方法を探っている。
制御方法を探る中で全力の出し方を忘れた。
力は経験の中で調節して体得するものだ。
僕はそれを方法論で得ようとし、方法論を学ぶだけでは習得できなかった、という経験を得た。
いらないよ制御なんかしなくていい。全力だけが純粋で本当だよ。打算や保身に裏打ちされた嘘はもういい、もう見たくない。
嘘じゃないよ。それはそれで本当なんだよ。なんで本当のものと嘘のものがあると思う?嘘は嘘という形で本当なんだよ。
そうだね。
でも言葉遊びじゃないか。
言葉を弄するのは遊びだよ。抽象的な概念を、意味をまとわせた呪文、インクを含んだペン。言葉はインクの染みで、そこに描かれた細部や道具自体を解体して、観察して遊んでる。
うじうじしていて潔くないのが嫌いなのは、余力を残した気取りがムカつくかららしい。余裕があるのが嫌い?
違う。余裕自体は別にいい。余裕から生まれる打算や保身が嫌い。
なんで?
わかんない。それがもたらす弊害を多く見すぎたせいかも。
弊害?
同調圧力、大量虐殺。
多数派と少数派があって、前者が後者を殺すという構図を見すぎた。前者が後者を殺す大半の動機は、少数側に回ることにより殺されたくないから自分の身を守るために多数側につく、多数側に従っていれば誰をどんなひどい目に遭わせても自分の身の安全と利便性を享受できるから、という打算と保身に由来している。だから多数側におもねるような心理全般が嫌い、そういう理屈っぽい。
じゃあ僕が嫌いなのは多数側におもねるような心理なんじゃん?自分の身を守るために誰かの意向に従い間接的に虐殺に加担すること。でもそれで自分の身を守ろうとするあらゆる保身的な振る舞いを打算と呼んでキレるのはおかしくね。
状況や、言葉の意味を大きく…拡大解釈しすぎるから…もっと細かく、分割して見ないと。
「余力を残した気取り」と「多数側におもねる保身」は別物。
そうだ。自分をよく見せようという作為はそもそも気に食わない、汚い部分を隠したいみたいな…恥の観念が。それを汚いと感じる感覚自体を汚いと感じる。
でも、汚いものを隠したいという感覚も同時にある。拮抗する。混乱する。
大変ですね。
大変じゃなくいられないからわざわざ大変にしてるんだと思う。どっちか一方を殺してどっちか一方だけ生かすと判断し、踏み切れてたら全然大変じゃないけど、そうしたくないとも思う。
なんでどっちか殺さないといけないと思ってるんだ?殺さなくていいよ、両方大切にしたらいいのでは?
そうするよ、でも、両者が両者を全力で殺しにかかってきてるからそうでいられない。生き延びるためにお互いを潰し合わないといけないと思っていて、殺し合ってる。
これは?これは気取り?どれが気取り?なにが気取りでなにが気取りじゃないの?なぜよく見せようとすることが気に食わないの?
自分をよく見せようとするのは体面を取り繕うことで、体面を取り繕うのはその体面が通用する相手を見定め相手の価値観、作法に合わせるという目的を持ってのことで、相手の好みに合わせて自分の装いを変えるのは、判断基準を相手に委ねてすぎている、と思う。この人がいいと言ったから自分もいいと思う、という考え方。この人が悪いと言ったから、きっとこれは悪いものなんだろう。思考停止。
相手の好むものを好むのは、相手の好むものを好む、という好みだよ。それは危険だし思考放棄だけど、そういう好みがあるのは別にわかるし、すべての場面で危険で思考停止的ってわけでもない。
好みってか習性って感じするけどね。
自分をよく見せようとするのは、誰か他人に向けてじゃなく自分から見た自分をよく見せようとする思惑もあるから、体面を取り繕うことだけが「気取る」ことじゃないと思う。
美意識高いのが嫌い?
いや。それ自体は別に。でも、自分の中の美意識を自分以外の人間に適用するのはすごく傲慢な感じがする。相手の基準じゃなくて自分を基準にしてるのが。ウエメセ。
めんどくせえな…
いやめんどくさいよ。今更?
これらはずっと気にしてることだからこれらをここまで言葉にできたのは前進した感じがした。なんでもないことみたいに言えるようになるのに、できるようになるまでに、時間がかかったけど。数年前だったらなにも言葉にならないままだった、言葉を言葉にすること自体に嫌悪と抵抗があったから。よくわからない。なにもかもよくわからないままだ。ずっと混乱してる。よくわからないものをわかりたかった。でもわかれない。やっぱり根本的な部分で幼稚なんだと思う、現実に根ざしたものの考え方をうまく運用できない。自己嫌悪を自己嫌悪するみたいなのを繰り返す。魔法みたいにたちどころにすべてうまくいけばいいと思った、そりゃ思うよ。でもそうじゃないから。時間をかけてやるしかなかった。結局自分の美意識に障るからなにもかもが許せないみたいな状態に陥りがちなのが苦悩欲の正体なんだと思う。美意識っていうか、セルフ倫理観。個人的な信条。それがあることも嫌だった。でもむずがって泣いてその中身をぐちゃぐちゃにしたまま点検するのを避けようとするからいちいち混乱するんだとわかった。それを避けたのは痛みを感じたくなかったから、それ以上に。その瞬間以上に。今以上に。でも痛みを避け現状維持することもまた自分を許せないことの原因になったから動くしかなかった。自分を許したかったから。根気強く絡まった紐をほぐしていく感じ。