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詩について。
詩ってなんだろうな。いまだによくわかってない。
詩に心を打たれた経験がない。
特別これという詩に取り憑かれたり惹かれた経験もない。
それどころか、一つの作品として完成された形態をとっている詩に対して、大抵は心理的に距離を感じる。
でも、僕は漠然と詩という概念を好んでいる。
詩じゃなく、形状はどうであってもよくて、単に詩情みたいなものを好んでいるのかもしれない。
生活とか、日常は常に連続していて、一瞬の一瞬さを意識し続けることが難しい。
僕は一瞬の一瞬さを意識することを詩情だと思っていて、それを持ちうる人やその人の見る一瞬さそのものを好んでいるんだろう。
でも、表現される媒体が作品の形をとると、警戒する。作品は評価されるためのものだから。
表現としての技工に優れた詩であるとか、こんな感性や視点があるのかと目新しい驚きをもたらす詩だとか。技術に優劣を見出したり、驚きの有無で退屈か刺激的かの評価をくだす。そこには競争がある。
詩情に競争はない。優劣も。ただ一瞬がある。そこに評価を差し挟む余地はない。一瞬はただの一瞬だから。
生活も日常も複雑で疲れる。複雑さと向き合うための体力、複雑さに対する耐久性はいつも過熱していて今すぐ破裂しそうだと思う。
一瞬の一瞬さを意識するのは、振り切れた複雑さへの諦めに似た姿勢に感じる。
理解の実感、発見の衝撃、めしいた目が開く瞬間。こわばり緊張した肩の力が抜ける。大きな力の前に自分の無力さを差し出す以外なくなる。呆然とした喜びをともなう、煩悶の末の虚脱。云々……。
僕は、無力な存在としての意識の発露に好意を持つんだろう。力がないという感覚を出発点にして、あるいは内から燃えるような熱を発したり、汚くて冷たくて暗いところの底に落ちていったり、ただ大きな力の前に立ち尽くしたり、淡々と見届けたり。そういうのを読むのが好きなのかもしれない。