頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

自分の今いるこの環境って、宇宙規模で見たら一瞬のうちの一部でしかなくて

ちょっと産まれるのが100年遅かったら全然、今みたいな人格形成されなかったわけだし

狩猟採集の時代から国家って仕組みが確立されるにいたるまで

人類がどうやって現在の環境を構築してきたのか

いかに社会的動物として集団の統治で利益を得、効率上昇を求めてきたか

そういう流れとかを通して、現代における自分を俯瞰してみたとき

今ここにいる社会的な自分のどうでもよさっていうか

でかい流れの一部に過ぎない感じ

権利を持った人格だの、個としての人間存在みたいな、大仰な気張ったもんじゃなく

それはなんていうかもう、動物、天気、自然現象の一部じゃんねっていう

自分があくまでも一運動エネルギーの運動に過ぎない感じ 

僕、つまり、個としての人格を持った意識は

人類っていう一個のでかい生命体の活動における

おまけみたいなもんだなと思う

そういう感覚がなんかすごい救いに感じる

というようなことを歴史系の本読んでて頻繁に思うこのごろ