自分のための人生
昔古本屋で、100円だか50円だかで買った文庫本を取り出して眺める。
昔インターネットで、いつかどこかでどうにかしてたどりついたページの一文を取り出して眺める。
それで思ったんだけど、僕は、本当に自分でなにかを一から考えたことなどないと確信している。
すべてどこかの誰かの引用でしかない。
思考はいつの間にか影響を受けて、いつの間にか変質している。
自我はその組み合わせでできている。
自分の中のすべての分人は誰かの真似をして作り上げたもの。
誰かのある一部分と、また誰かのある一部分を合成した。精神的キマイラ。
僕は極度の異形やグロテスクな歪み、突き抜けた狂気に触れると興奮を覚える質だ。
中途半端が一番しらける。
狂うならもっと突き抜けて狂わないとという強迫観念と強欲を持つ。
それで、いつでも中途半端な自分にしらけている。
でもそうやって、つまらない自分とつまらない生活を共にするのも一興なんだ。
狂気的な、刺激的な、自分を興奮させるような自分を好きで、自分を興奮させないつまらない自分を嫌いなわけだけど、つまらん自分が一番生活を担っていて、狂気は生活の破壊者で、僕は別に壊れて構わないと思うが、壊れて困る自分もいて、両者は拮抗している。