頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

なんだ、今日も生き延びたのか。

いつ死ぬんだ僕は。

こうやってだらだら生き延びるんだろうか。

貯金がちょっとずつ減っていくのを見て笑っている。そりゃそうなるよ。底をつきたらどうなるんだろう。底がつきたときどうなっているんだろう。わからんな。どうでもいい。

労働で得た対価は生活費で消える。まあインターネットがあれば娯楽には困らない。金がなくても楽しみは尽きない。でも金があってはじめて楽しめるものもある、ただそれにアクセスできないというだけ。金ってアクセス権みたいなもんで、なんか、権利を売り買いしてるんだろうなと思った。参加権。

金銭を、自分のものだと思ったことは一度もない。金、価値は、全部、借り物、からっぽに見える、それが意味のあるものに見えない。ただの数字。流れ。水。川。川には大きな本流があって、そこから枝分かれして流れる細い分流がたくさんあって、その末端のところから、おこぼれをすくい上げて飲んでる、そういう感覚。より太い川の流れるところへ行けば、安定、安心、利便性、贅沢、娯楽、自由、融通を手に入れられる、みたいな風潮があるけど、それも怪しんでる。プレッシャー、責任、期待に応えるための能力、それを維持する労力、そういうのと引き換えに得られるわけで、安定も安心も自由もなさそうに見える。僕は自分がそれらに耐えられる自信がなく、耐えてまで得たいと思わないだけで、要は単純に怠惰なんだ。だから、まあ相応の流れに落ち着いてるだけだな、と思う。当然のなりゆき。長生きを目的にしてないとか、いつ死んでも構わないとか、重圧はごめんだという気持ちをなによりも優先してる。それに納得している。

金ね。熱心であったり勤勉であったり、力のある人が、きちんとその働きの対価を得られるための仕組みとして、気持ちのいい仕組みなんだろうなと思う。だから、対価以上に働けど窮す、みたいな状況を見てると、なんでやねんと思う。なんでやねん。なんか僕の知ってる範囲で労働してる人、全員つらそうなんで、もうそれが…見てらんない。あまりに多くの能力を求められるとか、できなきゃ人格否定が当たり前とか、プライベートの時間が完全に侵食されてるとか。怯えてますもう。怖いですよ。教育っていう言葉と精神的怒号がセットになってる感じ。何時代だよ。労働ってそんな厳しい態度で挑むもんなんですかね。なんでそんな厳しくする必要があるんだろうな。もっと適当でええやんけと思う。僕はもっとだらっとしたい。スロース。