頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

自己否定、自分は今のままではダメなんだという考えによって苦しむ。
自己肯定、自分は今のままでいいのだという考えで苦しみを避けられる。
僕は苦しみを避けたいと思っていた。そのために自己否定的である自分を嫌っていた。

否定は現状の改変を促す。今とは別のやり方、別の在り方を提示する。否定は、自分にとって都合のいい状態に対象を作り変えようという作為。そう、でも、そうやってでしか、作り変えることでしか得られない発展もある。それが苦しみと引き換えに得られる対価。

自己否定を否定するというのはどういうことだろう。自己肯定的であれという願望。なにも苦しめず、なにも嫌わなくなりたいという期待。潔癖症。なにも嫌わないということは、自己否定的な自分も嫌わないでいるってことで。苦しめるし嫌い抜く自分を肯定するのでしか達されない期待。無秩序の肯定。

否定と迫害が強く結びついていることに気づく。
対象が期待を満たしていないのが嫌だ、不満だと思うのが否定。
期待を満たさない対象など消えてなくなれと、存在の消滅を乞うのが迫害。
僕は迫害に否定的だ。でも迫害は否定的な態度を出発点にして起きる。だからそれを恐れてる。自分の否定が迫害的に働くことを。
不満の解消は存在の抹殺以外の方法を取りたい。なぜなら迫害をしたくはないから。迫害の迫害?

不満に思うことと、死に追いやることが同列になってるのがすごい極端だと思う。
自分にとって不要なものをそれは不要だと言うことが許せないって?
すごい縛りプレイだ。


昔はちょっと否定的な考えに触れるとアレルギーみたく拒絶反応起こしてたもんで、否定の否定否定の否定、みたいになってて、なにこの無限ループ
今はもう免疫ついたけど
もう、むしろおもしろい、どういう理由でそれに否定的なのかわかるのが
なにその理由、つって、新大陸発見、みたいな
迫害を目的にした単なる暴力みたいなやつはあ〜暴れる力と思うけど、その力も理屈っていう技が決まってくると一気にスポーツ感出てくるし