頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

体を動かすのは楽しい。

僕はわりと掃除をするのが好きなのかも知れない。

たまったほこりを一掃するのも快感だし、土や草の根の間をかき分けるときは、蟻とか尺取り虫とか蜘蛛とかだんご虫とか蜂とか蝿とか居るのでイエーイと思う。可愛い。でも、この人たちの住処を僕はめちゃくちゃに荒らして回る厄災だけど。

暖かくなって、ずっと動き続けていると汗ばむ。汗をかくのも愉快なものだ。くたくたに体を疲れさせてから就く眠りはすばらしい。ずっと自分は体力がないと思っていたけど、まったくないということはなく、単に動いていないから動かすための力がなかったんだなと思う。動かせば動かしたぶんだけ動くようにはなる。今のところは。

掃除、誰にも介入されずに一人で熱中できるし、作業に終わりと正解が見えているので苦にならないし、客からは感謝の言葉まで述べられる。全然、ストレス源がない。

人事の人に、掃除なんてつまらない仕事だ、せっかく他にない環境なんだからもっといろいろな仕事を覚えてたほうがいい。と言われた。後半は同意だ、でもつまらないは余計だよ!と思った。

ちっともつまらなくない。

人事の人とまた話をした。勤務時間は当初の契約のままだと思い込んでいた件についてと、自分の能力不足について謝罪した。罪悪感に耐えかねてつい……。

「勝手な解釈は困ります」「どう解釈を間違ってしまったのかご指摘いただけると助かるのですが」「曲解はやめてくださいね」(答える気ゼロかよ)他オモシロチャットを繰り広げた直後はアホかぜってー譲らんぞ説明をしろ説明をと思ったものだが、いったいなぜ僕は態度が二転三転するのか。罪悪感に駆られた僕は極度に及び腰になって下手に出てへらへら笑うイエスマンになる。自分は間違っていて相手は正しいと思う。相手の言うことにはすべて従うべきで自分にはそれに逆らう権利はないと思う。僕は自分がこういう状態に陥るのがほんとうに嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌だ。嫌すぎだ。

人事の人とのオモシロチャット、悲しすぎておかんにスクショ送って、怖い悲しいと愚痴ったら、「この人はなにか間違ったことを言っているの?」「基本ははいかYESか喜んでだよね」「大丈夫だよ、あなたには根性あるからうまくやれるよ」「私も苦労してるけど頑張ってる」と来たもんだ。急速に頭が冷たくなっていった。スパークした怒りはそれで冷えた。まあそりゃ、この人ならそう言うわな、と思った。そして、大多数の人間がそれに同意するだろうし、僕は大多数に反することをやっているんだろうなと。なんで愚痴ったりなんかしたんだろうと。価値観が違いすぎる。自分がどう思っているのか説明しようとして、全身が言葉を発する気力を失っていることに気付いた。説明を諦め慣れている。いつからかは忘れた。この人の意に反することはすべて間違っていて正されるべき考えなんだろうな、この人が正しくて僕が間違っているんだろうなという思い込み。3年近く一人で過ごしてきて、忘れてた、久しぶりに思い出した感覚だった。いや、違う、この感覚を、ずっと引きずってるんだった、誰と相対してもそうなる自分が嫌だった、この感覚を、拭い去ろうと試行錯誤していたんだった。そうやって自分の力で生きていく手段を身に着けたかった。なにもいらなかった。たったひとつそれが欲しかった。

別に母が特別悪人だ、ひどいやつだとか、そういうことが言いたいわけじゃない。そんなことは思っていない。そうじゃない、実際僕が勝手に思い込んでるだけの話だ、相手が正しいとか自分が間違っているとかいう思い込み。絶対の正誤はない。ただそれぞれに重視している価値が違うだけ。各々で、好みがあるだけなんだよ。それだけ。僕は誰も悪人だとは思っていないし、誰も嫌いじゃない。嫌いなのはその人じゃなくて、その思想だ。その生存戦略だ。それが好みじゃない。あれは、生きられるならなんでもいいと言い聞かせて泥水をすすってきた過去を肯定するための現状維持なのか。行為の最適化じゃなく、自己肯定が目的。そうなら、泥水はすすりたくないとか主張する、現状に変質をきたそうとする僕を敵視するのも、最もなことだなと思う。僕の目的は、その思想や生存戦略を否定するとか、消し去ることじゃない。そんなことはしたくない。ただ僕が個人的にその手法を、その考えを採用したくないだけだ。その結果否定したり消し去ることになるなら、僕は、でも敵視されてもいい。と、思えるようになりたかった。敵視されるのが怖かった。ずっと。誰からも。なにからも。歯向かわないようにしなければならないと思った。そうしないと死ぬと思った。居場所がそこにしかなかったから。自分の内側じゃなく、外にしか。他人や、社会や、母にすがるしかなかった。なぜだろう?それで、そうやってすがる自分が嫌だった。なにかに、誰かにすがって生きるのが嫌だった。誰にもすがらずに生きたいと思った。だからもう平気なんです。敵視されても、それが自然なんだ。それは自分が生きるために必要なことだったと思うから、別に構わない。僕はすがるんじゃなく、すがらない方法で生きたいんだから、それでいい。僕は誰にもすがりつきたくない。協力がしたい。

 

僕は母に同情している。僕を産んで育ててたくさん労力と情をかけたのに、その結果がこれ。みたいな。母には母の人生があって、でも僕はそれをぶっ壊した。ていうか、進行形でぶっ壊してる、っていう。もう、罪の意識がすごい。学校行きたくないよっていういにしえの主張は通してくれたし、生活は支えてくれるし、基本的になんかすごい優しくしてくれるし、でも自分はなにも返せない、借りっぱなしで。自分にはなんもない。だって努力は苦痛だし怠慢極めてるし恐怖を盾に自分の身動き封じてるし。軟弱だ。義務を果たさず権利を主張する類の存在。それでも、人間として対等になりたかった。だから、少なくとも、どうにか、経済的には。

つーか権利を主張するための義務ってなに。

権利とは。

義務とは。

自由とは責任とは平等とは公共の福祉とは!?!?!?!?!

ウガー

最近はじめてまともに日本国憲法を読んだんすよ。流し読みだけど。めっちゃ理想的なこと書かれてて、現実~って思いました。ほんとにコレを下地にして現行の社会ってあるんすか?マジ?ウケますね。