頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

週一でハローワークのキャリアコンサルティング受けるのも1ヶ月続いたか。キャリアっていうか人生相談みたいになってるけど。って前も書いたな、これ。

そうだ。新しいバイト先、になるかもしれない会社、からも連絡があって、面接日を取り付けた。バイトではないか。契約社員扱いらしいっす。労働に対する一切の興味を割いてこなかったので完全に情弱なんだが。労働内容はともかくフルタイムってことだけが本当にしんどい。まじで働く日数少なくても余裕持って生きていける世の中になってくれ早く。疲弊に次ぐ疲弊じゃねえか、なにが進歩だ!なにが文明だよ!!すいません、いつもの発作です。

 

職員氏に、数日続いてるだるさしんどさについて正直に喋ってたら、じゃあなんでしんどくなるのか考えてみようか!みたいな、また道徳の授業がはじまって、勘弁してくれよと思った。どうしたらしんどくなくなるかって?今まさに激痛で苦しんでる人間に向かって、なんで痛いと感じてるのかなぁ?どうしたら痛くなくなるのかなぁ?なんて言うか?

いや、まあ、わかるよ。応急処置より根本治療ってことでしょ。この倦怠感も放っておいたら回復するんだ、多少は。その重低音は鳴り止むことなくずっと小さな音で響いていて、年月の中で音量のつまみが最大までひねられたり、最小にまで絞られたり。それを繰り返してる。今は耳障りなくらいの程度で、落ち着いてきてはいる。落ち着いている間につまみの制御方法を体得しておいたらどう?という提案だ。そうだね、コントロールできたらいいよね。

脳内物質や神経細胞といった肉体面からのアプローチを施すのが心療内科と薬物で、思考の癖や精神構造を意識するような精神面からのアプローチが、カウンセリングとか認知行動療法の分野で。認知行動療法の方針に文句があるわけじゃない。気に食わないのは、自分のしんどさに対して否定的な態度をとる自分自身を見つけるときだ。しんどいのは害だから変わらないといけない、みたいな考え方を持った自分に反抗的になる。待てよ、じゃあ今このしんどさを感じてる自分はなんなんだよ?まず自分を認めろよ。認めようとしている、それはいいよ、でも最初から自分を否定するという目的に立って眺めている、その視線はなんなんだよ、それは自己否認の一種なんじゃないのかよ、と自己否定的な態度に怒りが湧く。

僕は、こういう些細な自分の感情の変化、自分がなにに対して怒ったり悲しんだりしているのかを知ること、それができれば十分だと思ってる。それが根本治療になると思っている。なぜなら、今までそれを知らないでいることで、のたうち回り、苦しみに悶え続けてきたから。そのフェーズをないがしろにして、それを変えようとか、自分は変わったほうがいいという前提で、自分を自在に操れるようになる努力をしたいなんて思わない。その発想が根本治療につながるとはとても思えないから。努力で変わったとして、その先にまた同じ苦しみが待ってるだけだ。

現時点での自分を否定し続けることは、苦痛の無限地獄だった。だから「夢や目標をもってそれを達成できるようになろう」みたいな現状の自分を否定するような行動指針に、蕁麻疹が出る。

しんどいのはつらいよ。けど、このしんどさは僕の中から生まれて出来上がってきたものだ。必要な感覚だった。必要があって作られた。それをいきなり、はいもう君は用済みだから死んでね、こいつはいらないから殺してね、なんて切り捨てられない。なぜそんな残酷なことを勧めてくるのか理解に苦しむ。

僕が知りたいのは、今この時点の僕がなにを嫌悪し、なにを危険視していて、なにを幸福と安らぎに感じるのかで。そして、それはもうわかってる。

人と関わることでしょ?

そうです。人との干渉を持つことを危険視し、そこから遠ざかること、一定の距離を置くことで安らぎを感じる。

でも人との干渉を一切抜きに生活、なんてできないわけじゃないですか、今現時点では。だから人間関係にしんどさを抱きづらくなるような考え方を導入するっていうのはおかしな発想じゃないですよね?

そうですね。

それはそれとして、って分けて考えることも可能では?しんどい、けど耐久力つけばある程度ラクにはなるよねって。別に真っ向からこいつはいらない感覚!こいつは切り捨てるべき不要な部品!みたいに言ってるわけじゃないよ。拡大解釈、被害妄想だよ。

その通りっすね~。