頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

0時過ぎにPCをシャットダウンして、ベッドに入る。1時間くらいして寝付いて、朝は8時前に起きる。1時間で支度をして、駅まで歩いて勤務地まで移動する。半分以上電車の中にいるので、本を読んで過ごす。車内が混んでいれば、イヤホンを挿してラジオを聞く。気が紛れる。他人の思考を自分の頭の中に絶え間なく流し入れるのは、気が紛れる。時として、反吐が出るほど辟易する。自分の頭の中をどう処理したものか手をこまねき、この混沌のどこから手を付ければいいのか右往左往し、結果他人の思考へ逃げ込むときがある。予備校通ってたときはそうしていた。それでより悪化した。頭の中の混沌が。整理のつけようがなくなって、なにも考えられなくなった。あらゆる嫌悪、諦念、恐怖、萎縮の感情に支配され、そこから逃れられなくなった。もういいだろ、それを繰り返すのは。

違うな。多分、社会に適応しようと努力する大半の行為は、自分にとって鬱的を感情を加速させる行為だ。だから努力しようとすればするほど、鬱的感情にとらわれはじめる。今日もまた努力をした。それでひどく気分が沈んでいる。

失敗のないよう。失礼のないよう。迷惑のないよう。不快にさせず不安がらせず、一に気遣い二に気遣い三四がなくて五に気遣い。なにをそんなに下手に出ることがあるのか。へりくだりすぎ。卑屈な愛想笑いを今すぐやめろ。息苦しいからやめたいのに。卑屈依存症。多分ドラッグとかアルコールみたいなものだ。僕はあなたに敵意を持っていませんというアピールをする行為は一種の安心感を自分に与える。ぼくわるいスライムじゃないから攻撃しないでというメッセージを発することで武器の構えを解いてくれるかもしれない。実際多くの人は解いてくれる。でも、だからなんだっていうんだ。僕が隙きを見せたら誰だっていつだって好きなように攻撃できるんだ。攻撃しないでというメッセージを送るのは、相手が自分に合わせて言動を変えるよう訴えかけるのが目的で、自分が自分の主導権を握っているわけじゃない。僕が僕にやってやれることは、相手の言動を変えようとすることじゃなく、自分にできる範囲のことをできる限りやっていくことだけだ。その範囲の内に、相手の言動を変えることは含まれてない。含んでたまるか。だいたいそれは変わらないものだ。変えようのないものだ。コントロールしてはいけないものだ。人間の意思や感性は変えようと思って変えられるものじゃない。認知、認めて知っていく中で自然に変わっていくものだ。無理矢理にいじくったとしても、それは単に抑圧をしているにすぎない。抑圧で、頭の中の混沌は悪化する。それを僕は学んだ。