頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

決まって見る夢のパターンがある。
母が僕に対して、無視・無表情・冷たくあしらう・あからさまに鬱陶しがるなどの態度を取る。それが悲しくて、泣く夢。10年くらい前から見はじめて、5年前くらいからパターンがちょっと変わった。立場が逆になった。僕が母に冷たくして、母が悲しそうにしている夢。
悲しそうにしている僕も母も、子供のようだ。
従順で、反抗を知らず、見たものを見たものとして鵜呑みにする。疑いを持たず、傷つくことに敏感で。自分はこの人から嫌われている。ただただ、そのことを悲しむ。
この類型の夢、昔は相当頻繁に見てたんだけど、もうしばらく見なくなった。
と思ってたら今日久々に似た夢を見た。細部はもう忘れたけど。
僕が母に怒り散らす夢。僕はなにか自分の不満と見解を感情のままにぶつけて言葉に乗せ叫んでいた。母は困ったなぁとでも言うように、僕をどう扱えばいいのか戸惑っている。その態度がまた不服で、僕は話をするのも嫌だと感じて母から距離を置く。

なんだかすごく疲れている。

合否が来ない。月末に結果が出そうにないので、即日決まる適当な仕事に身を投じようかと思っている。
前ならそんなことする気力も勇気も動機もなかったけど、今なら挑戦できそうだ。
家に戻ってヒキニート続けるよりマシでは? 劣悪な環境に当たって速攻鬱発症するかもしれんけど、もういいよ、だいたい将来の展望だの、目標とか夢とか希望もクソもないんだし。死ぬ以外予定ない。どうせ死ぬならなにをやっても同じだろう?
結局、自立を阻むのは、自立するよりもしないでいることのほうが利点大きいからで。それがたとえいずれ沈む泥舟とわかっていても。目先の誤魔化しや一時の錯覚とわかっていても。守ってもらえる環境っていうのが、今まであったわけです。そりゃね。親に、環境に甘えてるって言われるよね。そうだね、その通りだねわかってんだよ自覚してるっつーの。でもだからこそ、ある程度の安全が保証されているその場所から、180度世界観の違う危険な場所へ身を投じるのが、恐ろしく、ためらわれることなんです。あくまでも危険な場所へ身を投じるためには気力と勇気と動機が必要で……それがないのを言い訳とかワガママだと言われるのは心外だ。じゃあお前紐なしでバンジーしてみろ。ビルの屋上から飛び降りろ。車通りの多い車道に躍り出ろ通過する電車に向かって身を投げ出せよ。灼熱ほとばしるマグマの塊に手をつっこんで浸してみろ。額に焼きごて当ててみろ生爪剥がしてみろや。自力でだぞ。全部。全部自分の意志でやれよ。やらねえのか?おい、甘ったれだな、そんなこともできないのかワガママなやつだな。え?そういうことなんだよ。死なんだよ。僕にとって"社会に適応する活動"っていうのは拷問なんだよ!要するに!
僕はまた誰にキレているんだ……。
違う違う。こんなのは単なる八つ当たりだ。
こんなこと言いたいんじゃない。
恨みがましいのはもういい……。
疲れた。

今日は職業適正診断の結果を解説してもらうというサービスを利用してきました。結果自体は予想通りというか、想像の範疇を超えるところのないものだったため、この情報からどういうアドバイスを受け取れたとしても活用しようがないのでは?とまったく期待せずに場に挑みました。50代前後の女性職員が担当でした。職員の方はまず白紙の経歴を確認したあと、あなたの場合診断結果から方向性を探るよりも自分の状態を整理するところから始めたほうがいいですね、と述べ、簡単に半生を振り返る作業がそこから始まりました。半生を振り返る作業自体は、自分自身で頻繁に行なっている他、精神科やカウンセリングの受診、サポートステーションや予備校などを利用する際に自分自身を説明する必要があり、何度か経験があったため難なく語ることができました。話の中で職員の方は、僕の鬱傾向を的確に指摘し、そういった思考回路から脱する重要さとその方法を説きました。時に自身の経験談を交え、時に理屈っぽく、時に誘導尋問を用いて、まるで道徳の授業のように。

あのーまあバカにしたりだとか、悪口、まあ言い方は悪いんですけど…人の悪意っていうか。そういうものに触れるのが怖いっていうのがありましたね。もちろん自分の中にも悪意がないわけじゃないですから、それをまた人に向けてしまうんじゃないかと思うと、それも怖いですし。うーんそうね、でもねそれじゃあ例えばね、お母さんやお父さんが誰か人の悪口や不満を言ってたこともあるわけでしょう、そういうときにはあなたどうしてたの?そうですね、やっぱり同じで、怖いなと思って見てました。でもそのお父さんやお母さんが悪口を言っているのはあなた自身のことじゃないわけでしょう?まあ、はいそうですね。じゃあそれは自分とは関係のないことだとは思わない?うーん、そう頭ではわかるんですけど。なんていうか語気の強さ。みたいなものに気圧されるというか。悪口もですけどそれ自体も結構、怖くて。なんですけどまあ、やっぱり怯えてるだけ、引きこもってるだけなのは嫌だなとも、自分で思ってて、そういうのに慣れていくのが一番賢い、いいんだろうなとは思い、ますね。そうねぇ、まああなたもご自分でおっしゃっていた通り、経験の少なさ、これがありますから。ジョブカフェの方なんか行かれたようでしたけど行ってみてどうでした?どう…えー印象を語るのは難しい、ですけど…でもあのー親切で優しい対応をしてもらえたなとは、思います。そうでしょう、悪い人ばかりじゃないですから、そういうね、悪口を言う人ももちろんいますけど、そうじゃない人もいるっていうことですよね、そういうことをね、もっと経験していけたらいいんじゃないかしらと思うのだけど。あ、うんうん、そうですね。

その他被害妄想や、自分が"与える・役に立つ"存在でいられないこと、"与えられるだけの・役に立たない"存在でいることに対する罪悪感、"迷惑をかける"ことへの罪悪感についても話した。曰く、そういった罪悪感は、罪悪感を生み出す思考回路が存在する限り断つことはできない。しかしそれを完全に断ち切ることもできない。だからそれはそれとして認めて、それとは別に「罪の意識を生み出さない考え方」に慣れていくのがいい。
まあ、そうですね。考え方の具体例が思い出せないから走り書きのメモを見返している。「感情・笑顔・認める・1つ1つ"いい"経験を得る・ポジティブな考えと行動」とある。素敵だね。よし、そいつで人間の悪意と立ち向かおう。受け流そう。ってなるか?まあ……なれたらいいよね。そうなりたい。なりたいよ。

くたくたに、疲れてる。

「毅然とした態度で、自分を信じること。自分の信じているものを信じること。」