頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

説明不能力と幼稚性への劣等意識、自己感覚の否定恐怖、強者の世界観恐怖

いやほんと、いい加減書くことない。

書くことっていうかなにを書いたらいいのかわからない。

別に書きたいこともないし。

とか言ってなにかあるからこうやって書いてるんだけど。

でもそれがなんなのか。

えーと、心情吐露?

僕は自分がなにを求めているのかなにを欲しているのか自分でわからなくなるときがある。喜怒哀楽。なぜ悲しいのか、なぜ怒りを感じるのか、なぜ喜ぶのか、なぜ落ち着くのか。理由の説明。動機の解釈。自分を説明できないという、コンプレックス。コンプレックス解消のための訓練の一環としての書くという治療法。

自分の中で、自分を説明することがタブー視されている。いた。

なぜなら自分の心に湧き上がってくる個人的な感情や衝動は「自分勝手」で「子供っぽく」て「わがまま」で「迷惑」で「配慮が足りない」ものであるという見方をするから。

それのなにがだめなんだ?

それらは隠されなければならないことだ、という思うから。

それらは非難される対象だから。攻撃の的。

「現実を見てない」「脳内お花畑」な思考回路は恥ずべきものだと学んだ。恥を学習した僕は恥をかかないような所作を学習した。

またこれかあ。

なにも考えずに手だけ動かしてると語りはいつもそこから入る。

この思い込みが自分の身動きを縛っているんだ、という確認。

自己表現。自己開示。そういうものへの抵抗意識の強さを確認する。

個人的な感覚というものは総じて自分勝手にならざるを得ない。誰であれ自分勝手なものをベースに動いてるよ。程度の問題だ、と思う。あるいはTPOの?

僕は器用じゃない。

ここでは自分を隠して、ここでは自分を出して、みたく感覚を使い分けるのは困難に感じる。感じていた。

隠しているとき苦痛だという意味。

隠しているときはどこにいてもなにをしていても隠している必要があると思ってそうしていた。隠すなら徹底的に隠す必要がある。隠すというか、存在そのものを消し去ってしまう必要があると思った。そして実際そう試みた。存在してはいけないものだと思った。

子供っぽくなくて、わがままじゃなくて、迷惑でもなくて、配慮が足りている、そういう思考回路を形成する必要があると思った。誰からも非難されないために。誰からも攻撃されないために。

でもそうあれなかった。そう見えるように振る舞うことはできても、そう感じるようになることはできなかった。

僕は責められることを過剰に恐れている。

自分が間違った存在であると言われるのが、僕の感覚や考え方は間違っていて恥ずべきもので正されるべきもので汚くて不要で無価値なものだと言われるのが怖い。

なんで?

誰に否定されたり罵倒されたりしても、僕の感覚が消えるわけじゃない。僕の感覚は僕の感覚としてそこにあって、そして消えない。僕の感覚は僕自身のもので、いや僕自身のものでさえなく、僕の感覚の存在を消すことは誰にもできない。死以外には。

そう、まあそっちに転がるのは自然な発想だ。存在が許されないなら存在を消したいなら、でも消せないなら最終手段があるよね。

使ってないけど。

っていうことでわりと生命の危機に瀕してる思い込みだと思うんだけど、あんまり緊迫感ないように見えるよな、引きこもってるだけだし。

理解もされ難い。

だってそれは思い込みなんだから。そう思い込まなきゃいいだけの話だ、で終わる。

それで結局自分を救えるのは自分だけなんだ。

僕は自分を救いたいのかな。

わからんが、僕の体や意識は僕の所有物じゃないから、僕が勝手にいらないとか判断して捨てるのは横暴だと思う。

そしてもちろん誰の所有物でもない。親のものでもないし先祖のものでもないし社会のものでも文明のものでも人類のものでもない。

ただそこにあるだけの体。自然の産物としての。宇宙や、星や、月や、太陽や、惑星、地球、オゾン層、雲、海、空気、森林、花、鳥、虫、魚、動物、粒子としての存在。それは僕に限らず誰しもの存在がそうなんだし。

なんの話だ。

なんかいちいち大げさなんだよ。拡大解釈しがちというか、そう、思い込みが激しい。だからこそ奴隷か死か、みたいな極端な発想になるんだけど。その中間ねえのか?労働に対するイメージ恐怖しかない。僕みたいな打たれ弱くて貧弱なゴミとかどこにも居場所ないやん。努力しろって? なんのために。適合しろ? 誰のために? 他人のため? 他人のために自分を殺して他人を喜ばせる? 怖。それで喜ぶ他人と関わりたくない。マジで。

多分、インターネットからしか大半の情報を得てないからそういう極論に現実味を感じられるんだと思うけど。生者は全員文明の奴隷で、そうじゃないやつは死ぬほど苦しんでるかもう死んだあとか、みたいな。苦しむことでしか生を勝ち取れない世界観? しかもその勝ち取った生に僕は別に惹かれるところがないんだし、じゃあ勝ち取りに行きたいとか思うわけないじゃん。っていう。ならそうやっていつまでも人の足引っ張り続ける存在で居続けんの?違うよね?そうじゃなくなりたいよね?はい。じゃあそのために苦しみ抜いて生を勝ち取れよ。嫌です。

はい。

全員とかすべてとか、絶対とか当然とか、そういう強い言葉使うのやめてえな。主語がでけーよ。主語を小さくしていこう。だから自分のことを語るのが一番ましなことなんだ。自分の感覚のことを。

なんの話だっけ?

自分がなにを求めてるのかわからなくなるって話? なぜかというと自分の感覚を抑圧してきたからであると。

ふーん。

その抑圧してきたものってなに。子供っぽさとは。

それだね。そこを解放したいがために書こうとしてるんだった。でもそれがまだなんなのかわからないんだった。多分書きながらわかってくることだろう。

いや、ていうかこれがすべてだと思う。やべ、またすべてとか使っちゃった。

要するに飾ってない自分ってことだよね。誰にも配慮してない状態の。僕は今誰にも配慮してないし飾ってないよ。この状態を晒すのが怖いってこと?

いや怖いわ。無理無理無理。

なんで。別に変なこと言ってないつもりだよ。口調アレだけど。口調アレなのがアレなんじゃ……。真面目っぽい口調であれば晒せるって言うならそうしてみたらどうだい。ややもうそういう問題じゃない。口調とかじゃないですすいません。配慮しないでいるっていうのが怖い?それはもちろん。配慮している状態ってどういう状態?え、なんか誰も傷つけないよう細心の注意を払ってる状態?傷つける。例えば誰を、どんな風に?わかんない、ぱっと出てこない。でも、例えば、僕が嫌いなものを嫌いと言ったとき、それを好きな人を不快にさせたり、嫌いなのものそれ自体も傷つけたことになると思う。嫌いなもの。それは人間のことを指してる?それもあるし、別に人間に限らない、全部だよ、存在するもの全部。じゃあ人間と仮定して話すと、特定の誰かを嫌いになったとき、その人を嫌いだと言いたいのに、嫌いだと言わないでおくのが、配慮している状態ってことでいい?うん。でも嫌いだと感じてはいるんだよね?うん。嫌いだと感じるような気持ちを持ちたくない、と思う?いいや。あ、いや、昔は思ってた。今は思わない。誰かを嫌いになる自分でもいいと思う?えーと、うん。

でも僕が一番嫌いなのは僕だけど。

なんで?自分のどこが嫌い?

子供っぽくてわがままで自分勝手で配慮が足らないところが……。

どうしてそれを嫌いだと思うの?

誰かを傷つけるから。

誰かを傷つけるような自分が嫌いってこと?

そうだよ。

まだそんなこと言ってるのか。

誰も傷つけないのも、誰からも傷つけられないでいるのも、無理だよ。それは無理な要求だってわかってくれ。そこはもう変わらない。それは宇宙が自然が存在するのと同列でそうなんだから。

人は傷つけるし傷つけ合うものだよ。

それは意図してそうなるとかじゃなく、意図せずともそうなってしまうものなんだから。

いいか。大事なのは、傷つけたこと傷つけられたことのほうじゃない、そのあとのほう。

傷ついたり傷つけられたりしたことに、どう対応するのか、それをどう扱うのかってことのほうじゃないのか?

傷つけてしまって、すまないと思うんだったら償えばいい。

傷つけられて、嫌だったと感じたならそれを表現したらいい。

あーうんうん。頭ではわかるんだけどね。

僕が学習するべきなのは恥をかかないための所作じゃなくて、喧嘩の方法だったかもしれない。