頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

対人的自己、自己開示抵抗意識、不満への自責

今日も晴れてる。

昨日は髪を切ってきた。

久しぶりに人と話した生身の。

あんまり緊張とかそういう感じはなかったけど、なんだろう、やっぱり変だと思われないようにしないと、みたいな意識があった。

頭の中でつまみを思い描く。我の出し加減っていうつまみ。きりきり回していって、いつもならものすごく低レベル帯に設定してあるゲージを中~高レベル帯にまでひねって上げていく。また別のつまみ。動作の速度。興奮や緊張をほぐしたり深呼吸的に一旦冷静に状況を把握したりというとき体が力んでいてはそれが困難なので。ゆっくりとした体の動きであれば頭ばかりが前のめりになってしまうのは避けられる。意識して落ち着いた、ひとつひとつの動作に余裕を持たせた動きをするよう、つまみをひねってゲージをいじった。なおいまこれ書いてるときは動作を早くするよう意識してるんだけどこれはそうしたい、って期待する感覚をイメージしてるだけでできてるかどうかは別なので。つまり思ったようなライブ感、勢いは出せてなくてもどかしい。理想通りでないことへの不満?

我の出し加減。これを出さない方に設定してると、著しく自己開示への抵抗感が強まりなんも話せなくなる。なんも話せなくなると本来話しておいて流れをスムーズにしてくれるようなやり取りも難しくなる。本当はこれを伝えたいんだけど、と思ってることがずっと言葉に出せない状態を維持し続けないといけなくなる、そうなるとめちゃしんどいのである程度は主張、じゃないけど自分の考えを提示する、説明する工程があるほうが楽なんだ。

髪型の注文は滞りなくだったんだけど、なんか世間話のタームでむしろ我を出しすぎてひやっとする瞬間があった。必要以上に自分の考えを表現するのにすごく恐れがある。そこに踏み込んだ感じがした。

店員さんは愛想がよくて仕事も丁寧で、気を使おうとするときそれがあからさまに態度に出やすい、優しげな人だった。

私的な領域。

僕は自分を構成してる場所が自室とネット以外ないような不気味な存在なので、ようは頭の中だけにしか存在しない場所、思想、でも語るとしたらそこにしか世界がないのでそれ以外を語る言葉を持たない。人付き合いのない無職とか犯罪者予備軍って思われもしょうがないでしょくらいに思ってるし、実際その気あるんじゃねえのと自分を穿っても見る。ベースに過激な厭世がある限り。だので不気味がらせたくないのに不気味がらせるような事柄しか自分の中に持ってない、話せないのが嫌だった。

また不満だ。や、もう不満を持ってるってこと自体はどうしようもない、変えようがないそこにあるものなんだから、それを感じないようにしたい、持たないようにしたいとかって関節技かけるのやめてくれないか。自分に不満がある、それを自覚するためにこれも必要なことなのかもしれないし。だって無自覚でいたほうが余計たち悪いだろ。自分で自分のことを説明するためには自分がなにを感じているかを知っている必要がある。僕は自分のことをなにひとつ説明できない、それは自分じゃない、これも自分じゃない、ということでしか自分を提示できない、否定でしか。それが嫌だから、自分はこう考えてるっていう軸、芯みたいなのの手触りを確認しておくべきだと。違う、確認しておきたいと。そう思う。

結局なにを話したんだっけ。あ、なんか自分地方出身なんですよねーみたいな話してて。今日どうやってこられたんですか?あー、歩きなんです近場なんで、1時間もかかんないですよ。えー1時間が短いってことですか、駅自宅間の移動が10分もかかったら遠いって感じる人が多い中でそれはすごい。や、もともと田舎の距離感に慣れてるんで、普通に歩いてたら田舎道だとなんもないすけど、都会だといろいろ目新しいんでむしろ苦にならないですよ歩くの。あー、おおーそうなんですね、こっちにはいつ頃から住んでるんです?あーでも1年は経ちましたね。もう都会慣れました?そうですねもう結構、最初はいちいち新鮮に驚いてたものも今は当たり前みたいに感じるんで。あー慣れちゃってますねーそれー。慣れましたねぇ。なんか、どうですか都会、楽しいですかやっぱり。なんですかね、楽しいっていうよりかは面白い?面白いも違うのかな。なんか、物がたくさんあるのって単純にすごいなー、みたいな……あっこういうものをこんなに必要としてる人がちゃんとたくさんいるんだ、みたいな。おー、へー、あなんかすごい、冷静な視点で見てるんですねぇー。あ、うーん、そうなんですかね、でもなんか、なんだろう、素直じゃないっていうか、素直に楽しめてないのはもったいないかなーとか思いますね。いやいや全然、えーそうですか?もったいなくないと思いますよーそれはそれで。云々。

僕、会話の途中で自省しはじめる癖あるな。まあ一に反省、二に反省みたいな思考回路を一日中持て余してさせるがままにしてりゃそうなるわ。ていうか振り返ってみると店員さん話聞き出すテクめっちゃうまいやん、びびるわ。でも、本気で僕の情報を得ようとしてるわけじゃなくて、もっと軽い、井戸端のノリのはずで、僕はでも自分のこととなると煮詰めて濁ったものしか出せない、軽いノリで出せるようなものじゃないから、自分が大事すぎて。自分の大事さ全面に出してしか自分を出せないことに申し訳なさが。もっとフランクなまあこんなもんですみたいな。軽いスタンスで自分を語れたらいいのに。そんなんで、自分の個人的な感覚を開示することに抵抗があってそこを踏み越えた瞬間に、やべ行きすぎた、と思って、あとはもうずっと線の内側に戻ろうとセーブしようとした。個人的な感覚。異物感。調和を乱す異質な視点。に静電気感じるくらい神経質。こんなこと言うべきじゃなかった。とか思わなくてすむようになりたい。考えすぎ明らかに。異物感があるのは自分の中でだけだ。そんなに重要視されてないよ、多少アレでも。まあそんなもんかな、そういう人もいるんだな。それで終わりだ。だからなにも抵抗感、感じる必要とかないと思うんだけど。思うけど思っちゃうね。もっと扱いづらくない、手間のかからない、面倒でない性格だったらよかった。いや、そうだったらそうで、そのことにまた不満を持つんだろうな僕は。罪悪感。また罪悪感。罪悪感が足を引っ張る。文字通り。足を掴んで離さない。

「つまんない人間だな」え?なんですか?「なんだってそう自意識過剰なんだ?自分の振る舞いが他人にどういう影響をもたらすか、他人が自分をどう思うかにしか意識が向かないのか?」それがつまらない人間の定義?「自分にばかり意識が向く結果、自分を責めて、身動きが取れなくなって、それ以外の行動パターンがないから、だからつまらないっつってんだ。広がりがない。閉じている。もっと他に目を向けるべきところがあるんじゃないのか?自分がどう思われるか気にするのをやめればいいじゃないか?」どうやってやめたらいいんですか?「考えろ。いや考えるな。なにも考えなきゃいいんだよ。目の前のことを、良いとか悪いとか判断せずにただ眺めていればいいんだ。今この在り方はよくない、悪い状態だ、と判断するから、その悪い部分、が気になって気になって気になって動けなくなるんだろう。良いとか悪いとかを気にしなければいいんだ。良いも悪いもない」どうやったら良いとか悪いとかを気にしないですむようになるんですか?「訓練だ」

ふーん。

例えば、僕は自分に対して遠慮なしに非常に辛辣に当たるし、暴力的だし、攻撃的な言葉を投げかける。自分が自分に対して暴力的である、ということを見透かされるのが怖い。それを人に向けることができる、してしまう可能性がある、その力を持っている、のが怖い。暴力的? 辛辣。辛辣に当たるのはワルイこと? 嫌な気持ちにさせてしまうからワルイことだ。礼儀が足りない。礼節を求められる場所で攻撃的にはならないよ。ムカつくヤツがいるなら別だけど。いや、でも僕はそういう相手に限って無難にやり過ごし慣れてる、自分の不満を隠すのに慣れている。不満。暴力性、辛辣さとは、自分の不満の表現なんだ。不満を表現したくない? その通り。不満を表現すると、やってしまったな、と思う。恥ずかしい部分をつまびらかにしてしまったと。恥。不満がないのが当たり前で、不満があるのは恥ずかしいこと? 不満を持つなって? 無茶言うな。でも、それは人に話すべきことじゃないと思う。自分ひとりで対処すべき問題だ、個人的な。個人的なものを共有することに対する罪悪感。こんなの見せられても困るだけ。困らせたくない。面倒くさいやつだと思われたくない。なんで? 事実面倒くさいやつなんじゃん。面倒くさい自分を認めろよ。

うん。

まああれだ、不満を言語化できないでいると、なにで不満を感じているのかもわからないままだ。それがいつ言葉になって出てくるか予測もつかない。でもあらかじめ言葉にしておいて、なにに不満を持っているのかある程度予測がついていれば、心の準備ができる。得体の知れない不満、が見覚えのある不満になる。自分自身の暴力的な感覚に気づいて、ヨクナイものだとびっくりして、怯えて、それ以上それをどう扱えばいいのかわからなくなって身動きとれなくなることも減るんじゃないか。不満を持ってる自分に気づく。自分がどれぐらい面倒くさい人間なのか言語化して確かめる。

確認だ。