頭の隙間のダイアログ

日記。筆記開示。オートマティズムの精神。自己対話。

自己開示、確認作業、状況説明

日記。

日記か。

なに書けばいいんだ?

とりあえずなにか書く必要がある。

それは自分を確認するための作業のひとつとして重要な工程。

なにも表現しないということはそれだけ自分を見失っている時間が長いということと等価だと思う。

自分を見失う?

自分っていうものについてつねづね考える、考えざるを得ない、常に意識の核にそれがあって、そこから反れた考えに方向が伸びるほど不安になる。

それが見失ってる状態?

そうかも。

じゃあ自分について考えたり、表現したりするっていうのはどういう意味だろう。

それはそのままの意味。

しゃべること。

感じていることを言葉に置き換えていくこと。

感じていること。

感情、感覚。

僕は概ね感覚的にしか物事を捉える方法を身に着けていないので、それを表現する技能を伸ばさずには自己確認するすべがないように思えてならない。

ただそれを感じているという状態、その感覚が感じられている状態、その時点でもう自己確認は済んでいるんじゃないか?

そうじゃない。それは簡単に空中分解する。消えてなくなり、見えなくなる。見えないものを説明できない。僕は説明が下手だ。それはすぐに自分の感覚を見失うからだ。そこにあったものがすり抜けていってもどかしい。それが嫌だ。だからうまく言葉に変換してやる、文章を書くことで、通り過ぎていく液体を固体として別の手触りで感じられるようになるんじゃないかと思う。

またこれか。

僕は抽象的な文章を好んで書く。好んで? 違う、抽象的な文章を僕は嫌悪する。それには全然手触りがない。僕はもっと手触りのある形を求めてる。

手触り。選んでいる言葉がそもそも抽象的で、感覚的な単語なんだろう。もっと具体的な話をする必要がある。

状況を叙述するんだ。それが説明ってものだ。

僕は25年前からずっと生き続けている。ずっと逃げたり避けたりして生き続けている、不快や、恐怖や、嫌悪や、痛みや、弱さなどから。

ふーん。

なんでもいいか。とにかくゴミ箱だ。焼却炉。どんどん作られていく料理を食べる歯や舌や胃、消化するための器官が入り用だったんだ。

それだけだ。

悪い癖だ。

なにか言いたいことや溜め込んだ不満や鬱憤、だけじゃなくあらゆる自分の中に生じた衝撃、反応、そういうものを遠回りに遠回りにしかなぞれない。まったくよくない。忌むべき性質だ。冗長だ。明確に端的に本質的な部分にだけ言及するがいいんだ。こういうものをポエティックだ文学的だといってうっとり浸っていた、もう長いこと。今もまだ浸り続けているからこんなふうにしか物を書けないんだろう。

その通り。

書こうと思えば個別具体的説明文も扱えるはず!

でもなれないんだ。

まあいいや。

どうでもいいんだそんなことは。

要は隣の芝が青いわけだ、きっと僕は今望むような書き味の感覚を体得してもまた似たようなことを要求しだすに違いない。一向きりがないね。さっさと打ち切るがよろしい。

おっと。

結局なにが言いたいんだっけ? 自己確認がなんとか……。

自己確認! こうやってなにか自分を確認するたびに懲罰の鞭を振るいたくなる。いやいや余計な工程だ。お前は間違ってる、お前はおかしい。お前は正されるべきだ、お前は"ちゃんと"する必要がある。云々。目的はなんだ。保身? 罰を与え、罪を感じることのなにかが自分の得になる。恥を感じ、恥を避けたいと思う気持ちが。失敗へのすくみ?

そうかも。

もういいって。

まあなんのテーマもなく書き始めりゃこんなものか。

日記。なにかあったかな?

買い物をしたよ。餃子2パック、小松菜、スパゲッティとレトルトのパウチをいくらか、プリン、ポテチ、みりん、卵。1700円。ポテチは厚切り!厚切り大好き!餃子はチルドじゃなくて生のやつ。帰って焼いて食べた。最近うまく焼く方法をやっと習得した。前は失敗しまくりでいっつもぼろぼろになっちゃってたけど。よかったよかった。最初に強火で鍋を熱してそこに餃子を並べて、それからすぐ水を大さじ1~2くらい入れて蓋して蒸し焼きにするんだよね。それで水で溶けて焼けた粉のこげが餃子をふちどってきたらひっくり返して……。今日もうまく焼けた。味はあんまし。最近ちょっと高いのを選んで買って、今日食べたのはそれより安いもので、高いほうと比較しちゃったから。焼き時間が長かったのがだめだったのかも。なんか火の通りが遅かった気がする。使ってるコンロ、火力が強すぎると自動で弱火に切り替えるシステムだから、火加減が原因ならそれ考慮に入れないとかもしれん。でも高いやつは別にそれと関係なくうまかったから関係ないかもしれん。

プリン。上にイチゴ味のムースが乗ってて、プリン生地は柔らかい。カラメルは少なめで。固体と液体のちょうど中間の食感、プリンはこのくらいの柔らかいのが好き。でももうちょっと固くてもよかった。白くて柔らかくて甘い。カワイイ食べ物だね……。

なんの話だ。

状況の叙述。

僕は一人暮らしをしていて……働いてない。学業に従事してるわけでもないし。まあニートですわ。やべーどうやって生きてここの先。このまま親のすねかじり続けてやがて死んでいくのかもしれません。一人暮らし。引きこもり。人と話すのがコワイという強迫観念により他人との会話も一切なし。できないわけじゃないんだけど……いややってないからできてないのか。話そうと思えば普通に話せるけど、いや話せないのか。ちょっと前に精神科に行って状況を話してみた。すらすらと現状を説明して終わっちゃった。こういうかんじで引きこもってて、この状況まずいなーと思うんでここのデイケア利用させてもらいたいんすけど、つって。そんでデイケアにちょっとだけ体験参加してみたけど、普通に居心地悪くて帰った。あ、これね。なんだ普通に居心地悪いって。何様なんだって話だ。いやなんか本気で重めの、癒やしを必要としている人々の集いだったんだよ。僕別に癒やしとかいらないんすよ。じゃあ引きこもるのやめれば? いやそういう話でもないんすよ。結局どうしたいねん。わかんない。引きこもるのやめたくないから引きこもってるんだけど、なんで引きこもるのやめたくないのかつったら人とのやりとりがダルイから、とにかくなんかたぶんそこで。強迫観念。叱られたり怒鳴られたり軽視されたりからかわれたり嘲笑や軽蔑や言葉狩り。そういうのがある、あり得る、そういうのに晒されると思っただけで体動かんね。これ書いてて若干涙目になって腕震えてきた。病気では? こういうのってどう治療するんすかね、なんか行った病院では僕の履歴というか、今ここに至るまでの概観を把握してそこで止まっちゃってて、もうなんかはっきりと目的をこっちが脱引きこもりのケアってところにだけ絞ってたんで、そういう対人恐怖症っぽい部分にはあんまり触れられなかったんだけど。対人恐怖症? 僕はなんか自分のこれを病気って呼ぶのはすごくためらわれて。ただ自分がそう感じるように自分自身に暗示をかけているだけだという気がするから。自分で暗示かけてるんだから自分で解けばいい話だと思う。それで治療方針が投薬とかなんとか、そういう方向に行くのにびびってる。強迫観念は刷り込みの一種だと思う、だから脳みその神経いじって副作用に怯えながら改善したところで根本的にどうにかなると思えない。それでまあ認知行動療法だの森田療法だの、たぶん治療するならそういう方向性のやつのがいいとは思ってて。言ってみりゃこれだって自己治療の一環で。なんかね、なにがためらわれるんだろう。とにかくためらわれるな。人に頼ることが? それもある。人に迷惑かけたらだめっていういにしえの呪いが染み付いてるもんで。最近は若干僕に効き目の薄れてる呪いではあるけど、まあある。金? 金かも。それでよくなったとして、で労働できんの?っていう先のこと考えると、これ金出してどうにかしようとするべきことなの?と思う。だいたい僕は対人恐怖と関係ない部分で働きたくねえと思ってる節あるし。働きたくない要因の第一位が人コワイなのは確かだけど、そこが人そんなにコワクナイに変わったからと言って働きたくなるの?っていう。じゃあそういう考え方の人間に資本を投資するの無駄じゃねえ?とか思う。通信高卒で履歴書に何年もブランクがあるような人間やぞ、まともに取り合えってもらえないっすわ。そこもあれ、向上心のある人物であれば、選り好みせず資格取ったり、やりくりできれば学歴取ったり、別にどんな方法でも埋め合わせはできるよね経歴の。信用されるための努力を積む方法が。でもだめなの!根っからそういうの無理やねん。ゴミだよ。だめなんです。そこで止まっちゃってる。自分は努力ができない人間だから、努力しなければ生きていけない環境でそもそも最初から生きていける条件を満たしてない、だったら別にこのままでもいいと。ああそう、じゃそれでいいんじゃね。自分もこう言ってます。

長い長い。

>脳みその神経いじって副作用に怯えながら改善

偏見まるだしですごい。たぶん気分の安定とかで補助的に使うんであって、メインは寛解まで持ってくためにやっぱ欠かせんだろうし認知行動療法系なのでは? 恐怖症抑えるために一生薬使い続けるってことはないとおもう、いやしらんけど。

>人に迷惑かけたらだめ

症状放置してヒキニート続ける選択のほうが圧倒的に"迷惑"だとおもうんですけど。正解。

>根っからそういうの無理

努力の継続が極端に困難に感じる要因にも人コワイも含まれてるんで、症状、症状って呼ぶのあれだけど、まあそれがマシになれば多少の努力はできてもおかしくないとおもうのですが。それね。

だいたい僕が人からの攻撃、否定的な言葉、暴力性、拒絶、そういうのに怯えるのって"経験不足"だからですよね、そういう、人との関わり全般を避け続けたから。なんかその人との軋轢、それはもうあるもので、どうしようもない。避けようがないことだよ。それはあるよ。それがないのはありえないよ。それを認められないからだと思う。多くの人はそれを認められている。経験の中でそのいなし方や自分なりの受け止め方を学習していってる、僕はそれがすごい下手、学習できてない。じゃあ経験すれば?っていう話だ。

書きながらべそべそ泣いてる。これも嫌なんだ。すぐ泣く癖が恥ずかしいから、泣きたくないと思って、泣くような状況を避けるように避けるように動こうとするし。それでまた一般的な人生経験から遠のいていく。一般的な人生経験ってなんだ? 友達付き合いとか……集団の中でうまく自分の立ち位置を見つけることとか、親愛、尊敬、差異の肯定、意見交換、喧嘩もそうだし、そういうものの上に成り立ってるできる空間に所属すること? 人間関係の構築過程。僕は誰ともまともに人間関係を構築する気がないから、だから自分が嫌になる。僕は他人という存在をどう捉えているんだろう。コワイっていう一言に集約するのは乱暴だ。本気で恐怖してるわけじゃないし。恐怖というか、申し訳無さ?いたたまれなさ。自分が相手に見合ってないというか、自分は相手に対して失礼で無礼で邪魔でそういう異物だと思う。害なす存在っていうか。そういう存在として自分を認識していることがもっとも失礼だ、と感じる。罪悪感。罪を感じるってことは相手が自分を罰するような人間だと想定しているってことだ。相手を攻撃者と見なしてる、敵としてみてる、そういう見方でしか接触できない自分が嫌。もちろん、僕は罰せられるべき存在だと心から感じる人間もいる、それは確かなことだ、でもそうじゃない人間まで一緒くたにそういうものだと雑にくくって扱うのが、そう扱ってしまうのが嫌だ。悲しいことだ。そのくくり方をする自分、レッテルを貼ってる自分、これが変えようがないってことが。

えーと。なんだっけ? 自己憐憫ですか。悲観的な考えってなんにも生産的じゃないですね。生産性! なんで僕に生産性があると思った? あるわけねえだろ。無駄なものしか生むわけないよ存在自体が無駄なんだから、無駄じゃない存在ってなんだ? それは誰かからあなたは有用だと認定された存在だ。有用じゃなければ無用。生産性? 多くの人が必要としているもの、それがあれば便利なもの、需要のあるものを生み出す能力。人から認められるのは需要と供給が合致してる状態のこと。誰も需要を求めてないものは? でもそれがそこにあるってことは、需要とも供給とも関係ないことだ。それはただそこにあるんだからあるだけだ。誰が必要としていても必要としていなくても関係ないことだ。とりあえずそういう感じでまだ生きてる。

なんか〆に入ってるけど。もういいかこんな感じで。結局なんも動く気ないってこと?現状を変える気が? 禅問答と机上の空論で満足して? "迷惑"な話だ。

泣きつかれた。朝じゃん。実況見て本読んで寝よ。